車両工作日誌 その05

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’10.08.31〜’11.02.03

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 部品作製や、運転会参加、車輛の修理などの日誌のその05です。
’11.02.03(木)
 映画の記録は、2本立て×3回(昔は入れ替えなんてなかった。1本は、ロミオとジュリエット)でしたが、今日は3本も一度に見てしまいました。午前10時から午後5時まででしたが、楽しかったです。
 って、本筋からずれています。
 コンさんのページで、レンズを作るときに0.1mmの差のことを書かれていましたので、1.9mmのドリルを買いました。何の脈絡もありません。
’11.02.03(木)
 旧型客車を量産し始めて、手持ち資料の少なさを痛感しております。「客車形式図集は入手できそうもないし」と思っていた所、この本があることに気づきました(詳細省略)。
’11.01.29(土)
 もう「残骸」の域に達している乾し蛸。当地の名産です。普通に手に入れようとすると、福沢さんが一人いなくなるような物ですが、全く別ルートで格安に我が家に1匹来たのです。生っぽい内は酒のつまみに足をかじりましたが、相当枯れてきて「鮭とば(関西に出回っているソルビット酸何たらが入っている柔らかいのではなくて、関東以北で購入できる鮭+食塩だけの物)」のような状態になりました。で、どうするかと言うことで、蛸飯を作ったのです。もう、「うまい」の一言です。干した方が味が出る事が実感できます。昨日、まず作ってみて、今日も作り、明日のための仕込みもしました。ただし、頼まれてももうゲットできません。福沢さん一人と引き替えに手に入れてください。お土産用に売っているのは、「ベトナム産」の蛸を使っていますので、お奨めしません。本当に「よざんごと」でした。
’11.01.28(金)
 怒濤のごとく客車を作ってきましたが、ちょっと飽きてきました。で、エンドウのパネルライトのストックが少なくなったのを良い口実に休憩しようかなっと思っていたら、予定外に早く荷物が届いてしまいました。
’11.01.22(土)
 「富士」の編成が下の段の一番上で暗い上に目立ちません。上の段の一番下がレサ、レムフの編成ですので、入れ替えました。
 アクリ板への反射を見ますと、部屋が雑然としていますねえ。
 写真以上に、この客車は目立ちません。青帯は、発色を良くするために下に白を塗ったのですが、全然目立ちません。イネとイテの白帯が見えるぐらいで後は黒(暗)い固まりです。
’11.01.17(月)
 20m級には、端からマスキングをせずに筆塗り後、ぱらぱらをしました。着いて欲しくない所は、綿棒で塗料をぬぐいました。まあ、今日は1輛だけです。
’11.01.11(火)
 気をよくして、たくさん作成しました。
’11.01.10(月)
 スユニ30とオロハ30が完成していないのは、そう、テールライトのパーツがないためでした。荷物車1編成用にもテールライトが必要だったのを思い出して、旋盤を使って挽き出しました。途中で掃除をしましたら、削った方が多いようです。
 今日は5輛と半分ほど作成しましたが、どうも刃がなまってきたようです。
’11.01.09(日)
 今日は、福山で行われている運転会に参加させてもらいました。
 全車両集電の安定した走り、また、フル編成が走行可能な雄大なレイアウト。その中で、キハ55系、10系+20系、
C62+10系寝台を走らせてもらいました。ちょっとぶれぶれですが、ちびっ子観客の前を走行するC62+10系寝台「安芸」です。
 楽しませてもらいましたし、刺激を沢山いただきました。有り難うございました。
写真無し ’11.01.08(土)
 明日の運転会に持って行く車両をチョイスしていて、C59等を走らせましたが、何より自分で驚いたのは補助接点を取り付けていない蒸気が結構居たことです。ランダムに車両を取り出して走らせることが大切なんだと思いました(レイアウトの整備もしろとの声が)。
’11.01.07(金
 アンチクライマーって、結構ごつごつしているので、紙の貼り合わせで表現しました(パーツのコピーが出来る状態だったら、とっくにしていたろうが)。1.5mm幅のRを付けた紙と、1mm幅の紙を切り出して交互に積み重ねます。
 瞬間接着剤を染み込ませて組み立てます。
’11.01.06(木)
 Wルーフ車の屋根のルーフィングが思った以上に簡単にできそうなので、車体を塗装しようと思ったが、アンチクライマーとテールライト等の部品作りが出来ていなかった。
 今日は、止めて車籍簿等の整理をしよう。
’11.01.02(日)
 ずっと工作室にこもりっきりだったような気がして、お日様も照っているので、単車を引っ張り出して「初乗り」。行き着いた先は1/1ですが、帰ったら「低体温」になってしまっていて、ずっと布団にくるまって半冬眠状態でした。
 動力車のチェックをし始めました。最初は機械式気動車。まずは、OK。パイプで動軸を繋いでいるキハ40048も無事に動きました(そのうちに、要修正)。D51407なども動かしました。これも補助接点なしです。でもまあ、動きましたが、これもまた「要修正」です。
’10.12.31(金)
 インレタに困っていたところ、子供が「白」のペンを持っていたので、文具屋に探しに行くと、0.7mmしかなかった。また返す返すも0.3mmのロットリングペンが悔やまれる。
 早めに工作を切り上げて、工作台回りの片付けをすると、こんな物が出てきてしまった。…
 やはり悪口は書かない方が良かったようです。今年はお終い。皆さん、良いお年をお迎えください。
写真は無し ’10.12.27(月)
 今日は、自分の部屋の大掃除をしました。2年ぶりぐらいでしょうか。体中が埃まみれでかゆいですが、すっきりしました。まあ言えば、掃除をしようと思って実行するぐらい元気になっていると言うことです。
 1年間を振り返りますと、フィニッシュした蒸気が5両、電気2両、軽便2編成、ほとんどの客車、電車、気動車をLED化し室内を作り、客車の新製も始めました。充実した1年でした。
’10.12.25(土
 徳島での運転会に参加させてもらいました。未塗装のオロハ30を連結して、木次線「快速ちどり」編成も走らせました。とても楽しい一時をありがとうございました。
 で、カプラーの不調、室内灯の不調等が、結構ありましたので、帰ってから調整しました。
 そうです。「行く前にしておけよな。」って言うことですよね。でも、調整を済ませてから展示台に納めているのですけど、と言い訳です。
’10.12.24(金)
 明日は、徳島の運転会に参加させてもらいます。そのために、未完成の車輌も含めてパッキンすると、工作台の上ががら〜んとしてしまいました。残っているのは、戦前「富士」の増備車輌だけです。
 また、スロには台車を取り付けました。日光のTR23が新しくなってブレーキシューが別パーツになっています。それを取り付ける手間と、跳んでいってしまって探す手間を考えると「頼むから台車ぐらいは取り付けてお終いにさせて。」と思います。
とっても高価になった上に手間暇かけなければいけないパーツなんて不要です。(あ、過激。)
’10.12.21(火)
 学生時代にもどったような気分で山陽線を上ります。岡山駅や三石駅の近代化遺産を車窓に眺め関西圏に。在来線を使用したので、すんなりと神戸のお店へ行けましたが、その後が押して来るし、雨は降るしで、大変でした。戦利品は写真のごとく。
 在庫の無かった車輪は送ってもらうようにしたので、近々入手できると思います。そうするとWルーフの車輌が走るようになるのだ。
’10.12.15(水)
 ほぼ1日、丸屋根客車の模型化図面作りをしていました。
 下電の工作もストップしています。
 「鉄道模型は高価だ。」と思っている人に考え直してもらうためです。このペーパー自作客車1両は、台車を除けば、1両50円ぐらいでしょうか。しかも1ヶ月ぐらい掛かって作っています。沢山遊べて安いですよ〜。
写真無し ’10.12.14(火)
  昨日リベットを打った紙の工作には取りかからずに、丸屋根の増備車の型紙を作りました。ペーパールーフにしようとすると、A4一枚に2両は、厳しいですね。写真はありません。雑誌の図面、形式図、模型屋さんの図面等を参考にして展開図を作っていきます。勿論、尺、カッター、糊で「アナログ」に作っています。最後は、スキャナーで取り込み工作用紙に印刷します。
’10.12.08(水)
 塗料が乾く間に、ダブルルーフのパーツを作ります。一応「スロハ30」を一両、その他、17m級を1両、20m級を4両作りたいと思っています。
 バルサをそれなりに削ります。かんなは学生時代から使っているカミソリの刃を使う物です。このような道具は壊れませんね。
 そう、接写が出来るリコーのカプリオが、先日からおかしくなっていました。どうも壊れたようです。で、近所の量販店に行くと、修理予定代金と、新しいコンデジがほとんど同じです。6年も使ったので廃棄かと思います。当分、IXYで兼用です。
’10.12.06(月)
 で、急いでシャッターを切ると、なんと右に下っていますよね。実は右が新見、左が高梁。つまり標高の高い方が下っているのです(涙;)
 続いての鉄分は、吹屋銅山の坑道の中のレール。間にセメントを流していて、歩道になっていました(写真を撮り忘れていた)。また、外されたレールもありました。
 そのほか、一人では絶対に行けない(分からない)廃坑跡も見学しました。「こんな山奥に、こんな構造物がと驚くような物でした。
 今日1日、堪能しました。
’10.12.06(月)
 10月の津山に続いて今日は高梁の近代化産業遺産ツアーがあると言うことで、参加しました。ガイドは、前回と同じK准教授です。まずは、備中高梁駅の上屋のレール「BV&Co(え〜ん、聞いたのにもう忘れている;」のレールです。
 この橋(田井橋)の向こう側で見学していると、電車がやってきました。
写真無し ’10.12.02(木)
 紙に車輌の側板のデータを印刷し始めました。まずは先行試作で、下電の貨車を作ります。
’10.11.28(日)
 さて、車輌工場の方では、座席車の編成に入っていたオシ16が「ネ」の編成の方に入っていて車両番号まで振られています。
 この、室内が最後の難関か(次に控えているのは、荷物車編成。また、プラモ改造の25系寝台車や483系の特急電車は室内そのものはありますので、照明だけを考えればいいので。)
 誠文堂新光社のガイドブックと、TMSの切り抜きを参考にします。寸法があまり分からないので、デジタルを使って何とかしよう。また、屋根に貼り付けたのは、カバーですが、安物の画用紙を瞬間接着剤で貼り付けただけの物です。「銀」ではなくて明るいグレーにこの編成の屋根を塗る予定なので、まあ、こんなもん(後で磨きます)か。
写真無し ’10.11.26(金)
 快速「ちどり」や、特急「富士」用の車体側板をコンピュータで作りました(CADは使わず(使えずです)に、絵で勝負)。
写真無し ’10.11.15(月)
 1/1の祭の残務整理がまだあったので、片付けました。1/1つながりで用事が出来まして、通常業務になかなか取りかかられませんでした。
’10.11.12(金)
 明日の1/1の準備等がありまして、模型作りは、今ひとつ。「1年前から分かっている部品の修理を、前日になってするなよな。」って世界です。
’10.11.11(木
 あれこれあって、工作室に上がったのがもう5時過ぎだったでしょうか。室内灯のLED化の準備をしました。オロ2両が古いLEDで、暗いのが今更のように気になります。また、ブリッジダイオードと合うように考えたつもりが、1つ目が反対になっていました。
 今日1日へこんでいたのですが、よくよく考えると(詳細は書けませんが)、今、ここでページをアップしているのが信じられないぐらいな、ラッキーな1日でした。
’10.11.09(火)
 紙自作のナハ11の座席を量産します。座席部分は、バルサ材に画用紙を貼って、背もたれは、工作用紙に画用紙を貼って、チョッパーでぱちぱち切っていきます。
 組立は、木工ボンドでぺちゃぺちゃと貼り付けます。後で、断面に画用紙と同じような緑を塗ります。
’10.10.31(日)
 伊予西条での運転会に参加しました。最後に走らせた581系「月光」。十分楽しみました。DF50は、何故か中間台車の枠が外れてしまいました。ピンチヒッターは、昨日完成したC5417。とても快調な走りでした。久しぶりに青大将「つばめ」も走らせたのですが、トミー改+Uギアの先台車の取り付けが外れてしました。これもピンチヒッターのC6217が快走しました。
 広島からいらっしゃった方々の車輌が目から鱗で、全車両集電等々、ペーパー製車輌でも、すばらしい物でした。すごい刺激を頂きました。
 明日から、また、模型に精を出すぞと思った1日でした。皆さん、ありがとうございました。
’10.10.28(木)
 えっと、ごにょごにょの続きです。
 車輌にも、加工をしましたが、ごにょごにょで、写真はありません。
’10.10.22(金)
 1/1の室内灯の押さえ金具が無くなっていますので。本物は1.2tの鉄板ですが、手元にある0.8tの真鍮板で作りました。ネジが、どうも今の規格ではないようです。でも、ナットの方が一体になっているので、合うネジを探さなければいけません。
 適当に見繕って、セルフタッピングで取り付けました。
’10.10.17(日)
 今日は、1/1の活動日でした。で、ライダースーツを着た方が見学に。ふと見ると、なんと「ラビット」号ですが。現役です。流石にその年月を物語るステッカーの数々。また、「バッテリーが収まらないから。」とハンドル下のカバーが開けられていますが。驚き。
 自分が子供の時に叔父に乗せてもらった頃がデビューですから、もう50年は経っていよう物。中古を手に入れられたとか。お名前は伺いませんでしたが、ちゃんと走らせていると言うところがすごいです。
’10.10.16(土)
 「倉敷屏風祭」に出かけました。沢山の観光客です。倉敷の町並みは、先日の津山の町並みとも違っております。この町並みを表現したいと思っているのですが、なかなか。
 大体の屏風は見ておりますので、一番の目当てはこれです。お店の名前はあっても良いよね。これを買った後に入った近所の喫茶店の奥さんも、「あの店は、安くておいしい。」と仰っていました。何かあれば、行きたい店の一つです。
 子供のアッシー君をした帰りに踏切で止まっていると、目の前を「何とか浪漫号」というヘッドマークを付けたキハ58と28が。写真を撮る間もありませんでした。工作をしていない言い訳ですが……。
’10.10.13(水
 えっと、疲れがでているようです。気楽にパーツのコピー。
’10.10.12(火)
 実際、朝起きられませんでした。
 起きたのはやっと10時半ぐらい。ごめん、プー太郎で。仕事をしている人は、こんな状態でも行くのですね(昔は行っていた。)
 で、3日間の写真の整理。レイアウト製作等の資料にもなるので、プリントアウト。枚数は250枚にもなりました。
 車輌工作台が、また分解しましたので、当て木をしました。もうしばらくは使えるか。
’10.10.11(月)
 美作(岡山県人以外は読めないでしょう、「みまさか」と読みます。ちなみに英田って読めます?「あいだ」と読みます。岡山県には難読地名がたくさんあります。後月って、あ、いらん世話か。)滝尾駅(寅さんの最終作のロケ地)に行きました。駅前で、説明をしてくださっているK準教授(実は同窓だって、学部は違うが)。その説明を聞く前に貨物上屋の写真を撮りまくった備南でした。
 K準教授にもお話をしまして、著書にサインももらいました。また、同じバスに乗られていた基運転手の方から昭和46年の蒸気や気動車の「カラー写真」を頂きました。自分は、誰かからカメラを借りて精一杯、白黒。カラーなんて(白黒1枚10円、カラー70円)という時代ですから、有り難いです。うれしいです。
 この3連休、実に充実して外遊びをしました。「朝早くに起きて、外出して何かをして夕方帰宅する。」って事を連続してしたのは、1年半ぶりかな。大分調子が良くなったので思うのですが、これって大切なことなんだよなと思います。
 明日からしばらくは、3連休の疲れをとります(何じゃそりゃ。)。
’10.10.11(月)
 「DE50写真を撮っても良いですか?」と、わざわざ断って、でも扇形庫の中にあるのは写真を撮りづらい。
 去年のB1グランプリで2位、今年は4位の津山ホルモンうどんが昼食でした。「グー。」でした。何故ビールがでない?
 扇形庫の奥にこんな物がありました。これって、昔、ホームの上を荷物を積んでごろごろと走っていた奴でしょう。もっと大事にして。向こうの軌道自転車は、動力付きでした。
’10.10.11(月)
 これは、実名を出しても良いのと思いますので、一部、実名で。
 地元、山陽放送ラジオで「午後ラジViviッと」と言う番組で(中略)「津山近代遺産バスツアー」という企画がありました。応募したところ300人中80人の内に入りました。
 で、喜んでころこんで参加しました。他にも一杯皆さんに紹介したいのですが、このページのために鉄だけ(?)に限ってレポートします。まずは転車台。茶色に塗られているのは、ちょっとねでしたが、細部の写真を撮ることが出来ました。キハ58,28は、来月のスローライフ列車で引退です。今日は、エンジンをかけてくださいました。向こうに見える……。
’10.10.10(日)
 私の母校「うどん大学」に行きました。「未来からの留学生」という学部フェスティバルの「模型で見る四国の鉄道」という、公開講座のお手伝いに行ったのです(きっぱり)。
「何で湘南80系?」「製作者が香川県出身の人でぇ。」
「何でキハ81系?」「気動車王国の四国に特急が走るようになったルーツは、このキハ81系にあるのでぇ。」
「何でEF66?」「いや、今走っている車輌もあった方が良いと思ってぇ。」「何でレサやレムフなのよ?」「いやその、しどろもどろ。」
 脱線した車輌を復旧に行って、ケーブルに蹴躓いて半田を外してしまい30分以上も「不通」にしてしまいました。
「ってことは、邪魔しに行っただけじゃん。」「深く反省。次回からは、敷設にも作業奉仕します。」
’10.10.09(土)
 JR四国多度津工場の「きしゃぽっぽまつり」に行きました。ここに行くのは35年ぶりぐらいかな。実車や、工場内の写真を山のように。模型のパノラマの前で、ちびっ子に運転の仕方を教えるA氏。
「これが終わったら『うどん大学』のレイアウトの整備をするそうですね。」と言うと、「そうよ……。」今日は、うどん大学に寄るつもりが無かったので準備をしていなかったのですが、雨だったので急遽車で行ったのです。来年は、前日準備から参加します。
 帰ってからは、車輌のパッキンをしました。
’10.10.07(木)
 時々アップしておりました、夕食です。作り始めて4年ぐらいになるでしょうか。最近は体調も良く品数が増えています(約5人前作っています)。味噌汁は、ちゃんといりこで出汁をとっています。ご近所さんからもらったなすを焼きなすに。大根とイカの煮付け。メインディッシュは鳥の照り焼き(盛りつけ前)。今日の贅沢は、筋子をほぐして出汁醤油につけた「いくら」です。市販のいくらより色は黒いが甘くておいしい。
’10.10.06(水)
 「軽便祭」で売られていた、レールクリーニング棒。同じ物を持っていましたので(左写真、左側)、買いませんでしたが、自分の持っているのはサンドペーパー付きでしたので探しましたら、ありません。似たような、スポンジの物を買いましたが、試験線を掃除しただけで、ごらんのようにぼろぼろ。「あらま。」です。
’10.10.04(月)
 我が社の新幹線はこれですが、パワートラックが壊れていたので、仕入れた部品の中にあります「ケース」を取り換えて再生。まずはめでたし。
’10.10.04(月)
 「祭」では、「今野さんのCコッペル」にのどから手が出ていましたが、我慢。店が広がりすぎますので。で、目の前の10系編成のアコモのため(だけではないが)、パーツをどっさり。
’10.09.30(木)
 工作の続きをしたくなくなったので、展示台の入れ替えと、コピーの作業をしました。
’10.09.27(月)
 赤のモケットの座席のパーツが余っていましたので、背もたれを作って量産。ついでに特ロのシートも作る。
 青座席のモケットもシングルの物が残っていたので、背もたれを切り出して作る。
 まあ、糊が乾いてから、断面の塗装です。
’10.09.22(水)
 緑の画用紙を買わなくてはと、ホームセンターで買って帰ると、百均で買った物があった(涙;)。百均の方の画用紙を使って座席の大量生産。ナハ10系も緑のモケットだったようなので。
’10.09.20(月)
 座席の量産。バルサ材に画用紙を貼り、チョッパーで同じ幅に切り取っていき、工作用紙の両面に画用紙を貼った背もたれも同様に切り出して、貼り付けます。こんな簡単な座席でもあれば見栄えがするもんだ。ただ、実物は縁があるので、そのままで良いかと思って組み込むと安っぽく見えてしまった。断面を青で塗装して組み込むと、そこそこ見えるので塗装をしている。
写真無し ’10.09.18(土)
 今日は、小物で「ごにょごにょ」の工作をたくさんしました。
写真無し ’10.09.15(水)
 コマーシャルソングは、「振り向かないで〜、○○のひと」でした。昨日のは、フォークソングの方でした。
’10.09.14(火)
 昨日アップした後わんこの散歩に出かけましたが、そのとき頭ので「ふっりむかないで〜。」と言うコマーシャルソングが流れ始めました。「そうだ、前の工作は前の工作、これからの工作はこれからの工作。」と割り切れました。
 取り換えた挽き物のエアータンクなどの塗装を剥がしました。結構サイズ違いがあります。
写真無し ’10.09.10(金)
 昨日、最後に足下不如意でケースを一つ踏みつぶしてしまい、中身が工作室中に飛び散ってしまいました。駐在さんは自転車から落ちていますし、ラビットも分解してしまっていました。 大分探したのですが、見つからない物もあり、午前中は工作室の掃除でした。最後にジャンパーの人(紙芝居屋)が、奥の方から出てきてまずはめでたしめでたしです。
写真無し ’10.08.31(火)
 8月の平均気温が30度を超えているとのこと。屋根裏部屋は、エアコンを20度以下にしても、32度から34度。で、あまり集中しなければいけない工作はしていないが(したくても直ぐにぼーっとしてくる)パーツのコピー(これも慎重にしなければ直ぐに型が壊れる)とかウェザリング、パーツの交換をしている。
 気動車の床下のパーツを交換してきたが、キハ81系の3両の床下がカツミのプラ一体成形の物だった。これも交換するかな。

工作日誌その05