車両工作日誌 その04

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’09.06.21〜’10.08.29

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 部品作製や、運転会参加、車輛の修理などの日誌のその04です。
’10.08.29(日)
 坂出の運転会に参加しました。誘ってくださったIさん、ありがとうございました。とっても楽しい1日でした。ウェザリングした気動車も概ね好評(?)だったので、残りの車輌も順次していこうと思います。
 次の運転会のお誘いもあり、有頂天で1日を過ごすことが出来ました。改めて、ありがとうございました。
’10.08.22(日)
 昨日から、3年ぶりに松山へ。前回、路面電車に乗ったときに運転席の仕切りがきれいな木製の物があったことを思い出しました(何故か、写真を撮っていなかった)。で、今回は路面電車のリサーチと、全線乗車(本町線は乗っていなかったので)。
 その写したい車輌は、残念ながら淘汰されたようでした。でも、平面交差にも出会え、釣り掛け音を楽しみ、動画も撮りました。
 郊外電車の方は、横河原まで乗車したので、後は郡中線を残すのみ。
 また、名物は、「寄る年波には勝てず」でしょうか。ちょっと気の毒な状態になっておりました。
’10.08.18(水)
 タミヤのウェザリングマスターを購入しておりましたがあまり使っておりませんでした。
 しかし、先日以来、使い倒しております。あれに付いているスポンジは、ずばり「アイシャドー用」ですね。セットには1本しか入っていなくて色が混ざってしまいます。で、百均で買った物がくたびれたので新しく買い直しました。そこで見つけたのがこの筆。優れもんです。ドライブラシ用のは、堅すぎます。そこで、毛先を短く切った物を使っていたのですが、ごらんの通りたこの足のように開いてしまっております。百均の物でもアイシャドー用は、毛先が開きません。さすが。
 で、何でアイシャドー用の物にこだわるかというとこれです。かれこれ40年はたつでしょうか。「水垢に白、錆に茶というとアイシャドーじゃん。」と思いましたが、当時は自分では恥ずかしくて買えず、頼んで買ってもらったのをずっと使っておりました。しかし、これは、あくまでも「粉」ですので、そのうち剥げてしまいます。まあ、タミヤのも上に塗るのですから、そのうち剥げるでしょうが、塗料ですので付きが良いようです。
 ウォッシュと併用で、手当たり次第ウェザリングをして、車両工場の写真を撮り直しました。
’10.08.17(火)
 昨日のキハ40000では、結構窓枠などの隈取りが出来て良い感じなので、残っていた機械式の気動車、10系、20系、26系と次々に同じよう「半分ウォッシュ+ウェザリングマスター」で、ウェザリングをしました。
’10.08.10(火)
 キクハ09を作るときに欠かせないのが、センターピンのネジの長いもの(木製床板ですので)です。ストックは、日光製準拠です。でも、手持ちの古い台車はカツミ準拠なのです。センターピンの太さが、2.4φと3φと違うのです。
 先日の大阪で購入するつもりでしたが、忘れてしまっていました。で、今日インタネットショッピングで注文したのですが、間に合わないので、また「短い」センターピンから作りました。歪んでいるのはご愛敬と言うことで。また、エース+KDのストックもなくなりましたので、6組3両分を作りました。
’10.08.07(土)
 大阪での「HNモジュール運転会」に参加させて頂きました。DCCも経験させて頂きまして舞い上がってしまいました。
 モジュールレイアウト上の当鉄道の2916です。結構スムーズに走りました。また、DB10もスムーズに走ったのですが、先日調整したキハ40046がスリップして動きませんでした。いろんな環境で走らせてベストを求めていかなければと思いましたし、その場をいただけたので感謝です。
 どのモジュールも色合いが落ち着いていてすばらしく、それぞれのシーンに物語があり、元気を頂きました。
 もう、レールを敷いてから、かれこれ10年が来ます。風景のある中で車輌を走らすというのは「高松ヤード」以来、当然あるべき環境ですが、未だ実現していないので、これは大いに一歩を踏み出さなければと思います。参加させて頂きありがとうございました。学ぶことが多かったです。
’10.07.21(水)
 罫描いた板に穴を開けていると、次第に熱くなってきました。「そのためのクロステーブルじゃん。」と言うことで、残りの穴はスムーズに開けることが出来ました。
 今回作った物は、いつでも使えるように(?)ストックの中に入れました。
’10.07.20(火)
 キハ17のカプラーが壊れてしまっています。で、腕の方の増産をしなくてはと思っていたのですが、なかなかその気にならなくて。やっとその気になって罫描き始めますと、2つほど部品が出てきました。
’10.06.27(日)
 今日も、小物作りの時間が長かったのですが、まあ、記事はなしと言うことで。
 で、キハ20の動力として100円モーターを使うことにしました。ところで、キハ、10,11にCN16を使っていましたが、あまりの非力さと回転数の違いからキハ17等に使っているCN16強力型との相性が悪かった(遅すぎる)ので、同時に交換することにしました。取り付けビスの位置が35°違うのでそれなりの切り欠きをしました。
’10.06.12(土)
 思い立ったら吉日と言うことで、大阪へ。でも、高速がなかった時代には、新幹線で1時間(特急では1時間半か。)、快速乗り継いで3時間弱、自動車では4時間だったのですが、なんと普通を乗り継いで4時間もかかってしまいました。末期色の115系です。たらこの気動車も腹が立ちましたが、これはもう「やめてくれよ。」としか言いようがありません。色もデザインのうちだろ?引き合いには出したくないのだが、ヨーロッパの車輌の色を見てみろよ。もっとしっとりと落ち着いた色合いだぜ。
 それはさておき、大急ぎで買い物をしました。今回のトピックスは6/0番の糸鋸まで買ったことですね、厚板用が2/0番、薄板用が3/0番と言っていたのは何時の時代でしょう。昨日、3/0番で0.3tの板を切っていたら、騒音公害という苦情がありました。今日、6/0番で切っていましても何もありません。
 ただ、在阪時間が短かったので、買いたいパーツのいくつかを買いそびれたことが残念です。
’10.06.09(水)
 パーツのコピー。大きい方は1/1で、シリコンがやっと1キログラムで足りました。小さい方は、模型のパーツで50gほどで済みました。
1/1の方は、粗悪なダイキャスト製のようで、経年劣化でぼろぼろになっております。そこで、まだ使えるパーツを元にコピーをしました.小さい方は軽便のパーツです。
’10.05.24(月)
 昨日作ったシールです。ボールドウィンのエッチング板もあったので、それをコピー。1枚だけ中に4030と書きました。ちょっと小さめでしたが、4030にナンバープレートを、1000にメーカーズプレートを貼り付けました。でも、地味ですねえ。ライトの点灯化もすれば良かった。
’10.05.23(日)
 「何か足りないよな。」と思っていた4030と2916。九重高原鉄道さんのページを見て、気がつきました。レタリングがないんだと。2両とも社紋を貼りましたが、地味ですねえ。4030は、手持ちのナンバープレートの「2403」を元に「4030」を作り、金のシールに印刷しました。明日はこれを切り取って貼り付けです。
 今日は大雨ですが、昨日はそれを見越してあっちこっちにツーリング。単車で初めて瀬戸大橋を渡りました。前回単車で海を渡ったときは、フェリーでしたから年月を感じます。橋の上は、とっても寒かったです。行き先はうどん屋とT理工店。久しぶりでした。ついでに、今日は1/1の鉄分補給でした。
’10.04.15(木)
 今日は、パーツの作成。
 で、色々作ったうちで、こんな物も作りました。え、B6の給水口です(サンゴさん、ごめんなさい)。また、ハイブリッドになりますが、2916にも使えます。
写真無し ’10.04.01(木)
 ほとんどが、パーツのコピー。いったいこの先何両作るんだという突っ込みを入れたいぐらい作っておりますが、いったいいつ作るんだと言うぐらいの車体もありますので、こんなもんかと思っております。
’10.03.30(火)
 
昨日作った座席の断面に塗装。数を数えると、1編成には少し足りない。そこで、また、量産する。「オハ10系も座席がないもんな。」と思いつつ。そこで、ふと気がついた。オハ10系は緑のモケットだった。
 後ろに見えるのは、下電の座席用のパーツ。
 今日作った座席の断面にも塗装をした。
’10.03.29(月)
 
オハ35系の更新が終わって、スハ42系と入れ替えました。座席の数が足りないので、また、量産します。
 こんな事の繰り返しです。
 また、パーツのコピー、量産もしております。
’10.03.26(金)
 
作っていると、材料が余るので、特ロになる前のロ座のボックスシートを作る。ボックスシートにも、リクライニングにも化ける二人がけのシートも作る。
 このように、パーツをむやみやたらに作るからレイアウトの方の工作に行かないんだと思いながら、ずっと工作台に向かってパーツをむやみやたらに作った1日だった。
’10.03.26(金)
 
スイテ391の工作を仕様と、資料を見ておりますと、いのうえこーいち氏の「客車・好き」では真ん中もソファになっている。出典はよく分からないが、形式図では転換シートのよう。でもまあ、ソファの方が高級だよなと言う理由で、不足分+αを作り、塗装。コンパートメントの座席も作る。
 スイテ491,2では、グリーンにしたが、それは間違いのように思う。赤が正解だろう。と言うことで、赤で作る。
’10.03.25(木)
 
スイテ491に集中。まずは塗装をしていなかった床下を黒に、床板をマホガニーで塗りたかったのですが、手元にあったウッドブラウンに塗装しました。
 LED化した後に、仕切り板を取り付け、座席を取り付けました。写真を撮った後に、コンパートメントの座席を取り付けました。右が室内灯が点灯したスイテ491です。
写真無し ’10.03.25(木)
 、スイテ491は真鍮床板に変えていたため、カプラーをずいぶん前に出しておりました。
 スイテ491のセンターピンの位置を変えました。これで、550Rを通ります。
’10.03.19(金)
 
なんだか、パーツ作りがうまくいっているので、どんどん作ります。
 1日中パーツを作っていました。そんなに作ってどうするのと突っ込みを入れたくなりました。
’10.03.17(水)
 コピーした部品の整形をして過ごしました。
’10.03.16(火)
 
何故か、スイテ491の台車を分解。ついでに、車輪を黒塗りしました。
’10.03.13(土)
 
いつも上手く攪拌しているようですが、(再々)かたまらないことがあります。左のトンネルポータルは、方から取り出した跡で固まっていない部分が飛び出して固まってしまいました。
 まあ、数がそろったので、廃棄処分にします。台車等はなかなか今日はうまくいきました。
 水タンクは、軽量車体が多い本鉄道には補重が必要なので、水タンクに活字金をひとつ入れてからウレタンを流しいれました。台車も、結構な数ができました。
’10.03.13(土)
 
いろいろパーツのコピーをしていますが、一番は、「下電」です。
クレパス号や、富士カラー号を作らないといけないだろうなあ。で、パーツが必要だろうなと思って、コピーしました。
 エアータンクなどは合わせ型(で、今までは失敗しかしなかったのですが)、なんとうまくいきました。
るんるんで、たくさん作りました。
’10.03.02(火)
 今日も、パーツのコピー。小さなパーツは、なかなか固まらない。台車などは、泡を出しながらかき混ぜると固まりやすいようだ。
 固まりかけたものは、トンネルポータルへ。しかし、一部分しか固まらなかったらそこはいつまで経っても固まらない。
固まりかける前に攪拌すると良いようだ。
’10.03.01(月)
 パーツのコピーを沢山作りました。泡が入らないように高周波洗浄機にかけたのですが、結果は悲惨でした。手順を考えなければと思います。
’10.02.24(水)
 ハンドピースの調子が良くありません。ラッカーで洗浄したり、注油をしたりしましたが、ふと思って、ラッカーの中に沈めて超音波洗浄機の中に入れました。
 待つことしばし。バネの間の塗料も何もかも、全部無くなっていました。
 昔の***コンは、今のコンプレッサーでは圧力が低すぎるようで、役に立ちません。これ(狸さん)と、もう一つの新しいやつが使い勝手が良いようです。
’10.02.14(日)
 
今日は1日、1/1の工作でした(充実した1日!)。
 で、お持ち帰りの工作はこれです。今は安全性の問題だからでしょうが、保存鉄道にしか見られなくなった窓の鎖状装置です。そう、列車が止まったときに「ガシャッとつまんで」窓を開けて「弁当をちょうだーい。」と言ったときの「ガシャッとつまむ」部品です。手間の固まりです(ああ、感動!!メンテの関係で戸袋窓もなくなっているような車両を見ていると、本当に感動です)。それがちびてしまっているのが原因で動かなくなっていました。そこで手っ取り早くストッパーを半田付け(何せ真鍮の鋳物ですから)して、動くようにしました。
’10.02.06(土)
 ベルトコンベアのキットを入手しました。先端部分が日本型と違います。また、厚みも違うのですが、その表現は無理ですので、先端部分だけ紙を貼って日本型にしました。
’10.01.30(土)
 車輪のストックの整理をしました。
’10.01.12(火)
 先日購入した、某模型店の台車が微妙に曲がっている。
 ヤットコでじわじわ曲げると治ったが、「これってあり?」状態です。メーカーのパーツなんて当てに出来ないと言うことですね。
 最近の「コピー技術」を駆使してまともな外観の部品を大量生産するしかないようです(それをしちゃおしまいよと思いながら、また、シリコン等を購入してしまいました)。
’10.01.06(水)
 本線にも書きましたが、昨年の暮れから、起き上がれない状態が続いておりました。
 それはさておき、エンドウのモーターを買おうと思っていたのですが、電気屋さんにあったモーターが十分なようです。手前が、いつぞや秋葉原で100円で入手したモーター。これは、蒸気機関車に使っております。奥が、今回250円で購入したモーター。エンドウのCN16よりはよほどトルクがあります。右写真の手前は、ページャモーター。小さい車両を作りたくて、奥のよりも小さいのを見つけて購入しました。いつ作るんだろう?
’09.12.27(日)
 車輌の調整していると、パワーパックからのアウトプットが無くなりました。左側のスイッチの方です。30年も使っているのでこれは壊れたわいと、半田を外しかけてふと気がつくと、外していない線が1カ所外れています。はい。半田が外れていたのです。半田付けすると復活しました。
’09.11.12(木)
 なかなか工作が進みません。気分の方も「プアーモデラー」化しております。
 ところで、金床に使っていたレール、祖父の形見ですが、祖父が岡山市内の住人でしたので、西大寺か三播の物だろうと思っておりましたら、切断面になんと井笠の刻印がありました。これにはびっくりです。
’09.11.05(木)
 すみませんなあ。この魚は「ママカリ」と言います(おいしすぎて、隣に「まま(ご飯)」を借りに行ってでも食べたくなると言う意味です)。実は今までおばあちゃん(母親)にあたりまえに作ってもらっていたのです。
 模型に関係なくても、時々この手の物(料理)をアップしておりましたが、自作に挑戦しました。初物です。ばあちゃんに確認したのですが、実は一手間抜けておりました。その上甘すぎるかなと思った味付けでも結構酸っぱくなりました。料理は模型よりも奥が深いですよ。
 それはさておき、坂本衛氏が雑誌に「プアモデラー」とおっしゃっておりますが、私も「プアモデラー」だと思います。学生時代には紙で車体だけを作り、その後ヘッドライトや室内灯を追加工作し、バルサと紙で作った座席を取り付けていくというように、そのときの経済状態(財布と相談して)や技法や時代の変化等を取り入れて工作しております。
 備南鉄道のキハ07等は、実はベルトドライブですが、現役です。
 先日作った座席は6輛分でも100円もしない材料費だと思います。30年を超えて同じ模型で楽しん(苦しん)でおります。まあ、DCC化はしないつもりです(単価が跳ね上がります)が、将来はまた違うかも。 
 皆さん、16番はとても良いサイズの模型ですよ。大きすぎず小さすぎず。最近では、テキストになるのはT誌かな(定期購読はしていませんけど)。自分は、「模工」や「模ラ」で紙工作を始めました。自分の手を動かして作品が作れる最適なサイズだと思います(とても個人的な感想です)。もちろんご存じの通り、真鍮板やプラででも工作できます。
 その割には作っていないよな(ごめん)。
’09.11.02(月)
 先日作った座席の断面に青色を塗りました。片側だけしか塗りません。窓側が接着面になりますし、背もたれも窓柱に隠れてしまうからです。
 本線にも書きましたとおり、今日はお出かけをしたので、工作はこれだけです。
’09.10.30(金)
 適当に切り出した(数量と言うことで、寸法は一緒になるように気をつけました)座席と背もたれを木工ボンドで組み立てていきます。右写真右端は、以前作った物。と言うことで、5輛分と少しが今日の工作です。ハユニとハフがありますので、これで6両編成は十分だと思いますが、気動車用などもう少し必要なのかなと思います。まあ、そのときにまた作れば良いだけの話ですが。
 断面を塗装して仕上げたいです。オハ35系は、背もたれの縁がニス塗りですが、塗装でそれを表現しにくいので、「青」を塗るつもりです。肘掛けは付けません。有ってもなくても見えません。
’09.10.30(金)
 まず、座席の量産です。1月以来ですね、座席を作るのは。しかし、このオハ35系以外にも10系客車にも室内の無いのがまだたくさんあります。時々、量産ですね。パーツを使うと、いくらお金があっても足りないぐらいだと思いますので、座布団は2mm厚のバルサに青色の画用紙を貼り、背もたれは、工作用紙の両面に青色の画用紙を貼ったものを作ります。
 適当な長さの物を作り、チョッパーで切り出していきます(こうすれば、ほとんどただみたいな物です)。奥に写っているのは、気動車用に作った物で断面が未着色の物です。
’09.09.07(月)
 運転会で、ふと気がつくと、DF50に社紋がありませんでした。帰ってから、貼り付けました。
’09.09.03(木)
 お盆前にまたやってくれまして、「やる気」が全然なくなっておりました。
 でも、運転会のお誘いがあり、参加することにしました。そこで、ぼちぼちと持って行く車両が動くかどうか、確認しました。運転会の様子は、本線9にあります。
’09.07.10(金)
 長年使っていたポンチをよく見ると、先が円くなっています。ダイヤモンドヤスリで削って,焼きを入れているところです。
 マイクロクロステーブルを取り付けたままだと、550Rの試験線が通行不能になりますので、ボール盤の位置を動かしました。たかだか数センチですが、これで何とかなりそうです。
’09.07.07(火)
 いやあ、出てきました。これが、オクでゲットしていたジャンパです。これで、キハの工作も同時進行で進められます。
’09.07.07(火)
 マイクロクロステーブルを買ってしまいました(何に使うんだ?)。
 で、ボール盤に取り付けました。きっと、精密なあなあけができるんだろうなあ。
’09.06.21(日)
 と思ったら、テールライトの上のステップも着いていない。急遽、真鍮板を半田で積み重ねて、加工しました。
 それから、ほとんどの車両に、ジャンパ栓が着いていません。手持ちの引き物で足りると思っていたのが大間違いでした。
’09.06.21(日)
 キハ17のテールライトが点灯するようになって、るんるん気分で、4030をさわっておりますときに、ふと、棚を見ると、キハ10系の残りの車両も、キハ20系も客車改造のキハ08系もすべて、テールライトの加工がしてありません。もちろん、室内も。で、テールライトのケースだけでも調子のいい,今、加工をしてしまいました。このくらいあれば、足りるかな。

工作日誌その04