車両工作日誌 その06

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’11.02.07〜’11.10.30

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 部品作製や、運転会参加、車輛の修理などの日誌のその06です。
’11.10.30(日)
 伊予西条での運転会、です。デジカメを忘れたので、古い携帯で撮影しました。大きい画像がいつもよりは小さいです。
 オハ35系は出番がなかったのですが、それ以外の車輌は快調に走りました。転落事故のあとの整備が良かったと思われます。
 先週と、今週での教訓。「走らせる前に整備せよ。」
 楽しいひとときを過ごせました。皆さんお世話になりました。無事に帰ったあとに、車輌を展示台に戻して、一件落着です。次回の運転会でお会いできることを楽しみにしています。
写真無し ’11.10.27(木)
 入れ替えができはじめて遊びかけたのですが、車輌整備をしなければいけない物が山のようにあります。
’11.10.23(日)
 昨日は、「はやぶさ」の展示を見ることも出来ました。
 さて展示運転会はご覧の様に、身を乗り出して見る子供もいて、大盛況でした。
 K先生のカメラカーの画面がスクリーンに映し出され、大勢の皆さんも感心しながら見て下さいました。そのためカメラカーは終日運転。対向する車両を取っ替え引っ替えして、すれ違う場面の気分を変えながら終日運転しました。脱線衝突事故もあったのですが、レイアウトを裏返すような意味での「事故」はなく、無事に展示運転することが出来ました。
 K先生、来年も呼んで下さいね。同窓会費も払わずに、毎年母校を訪れることが出来るのですから。
 最後にコントローラーを。これはこのレイアウトが完成する以前にI氏の手になる物。年季が感じられますが、東芝のマークもかっこよくスムーズに運転することが出来ました。
’11.10.22(土)
 K先生と夕食を共にしたあと、ホテルの関係で、隣町まで。その車中で、つらつら考えていましたら、思いつきました。どのメーカーの3軸台車もセンターピンは、中心からオフセットされ、2軸が固定、中央軸が横動のためにフリーという構造です(左図)。そうすると、センターピン側の車輪の荷重が大になり、反対側の荷重は小さくなります。これでは、荷重小の車輪が脱線しやすくなります。そうです、6804の先台車でも失敗した、あの構造なのです。
 きちんとイコライジングさせるには、中央にセンターピンを取り付けて、中央軸はフリーにするにしても、2軸がきちんと可動しなければいけないと言うことです(右図)。「3軸台車は、全部作り直しだあ。」でも、これは可能ですね。センターピンの取り付けをMPギアのようにすればいいのですから。
’11.10.22(土)
 「どうも、このポイントと、台枠のつなぎ目のレール位置が怪しい。」と、にらんで、ガードレールをスパイクして、高さも調整しました。また、トングレールの半田が多すぎてフランジに当たるので、削りました。「去年の失敗は取り返したぞ。」と、ちょっと鼻が高くなりました。しかし、オシとスハネの脱線は止まりません。どうやら、台車の方に問題があるようで、10系は出場停止。
 戦前富士も、まあ、大きなカーブのレイアウトなら、きっと脱線の回数も減るだろうと、機関車の当てもなく(C62で代用予定)を持っていったが、なんとなんと、脱線の連続。
’11.10.22(土
 いささか準備不足を思いつつも、よく走る車両を中心に、普段走らせられない車両をセレクトして「うどん大学素うどん学部」のフェスティバルへ。今年は前日から参加します。
 TOMIXの581系やカトーの165系は、いつも通り順調でしたが、80系は、モーターから異音がしてダウン。10系もいつもの6両編成ではなくて、10両編成にして参加。が、ここら辺りで、オシ17とスハネ16の1両が脱線します。
’11.10.16(日)
 昨日今日と、秋祭り、「屏風祭」です。都合で屏風は1軒のみ見させてもらいました。朝一で、いつものこれを買って、今日も1/1のラストスパートです。
 やっぱり、おいしかったです。「はんなり」と言う言葉を当地に当てはめて良いのかなとも思いますが、優しい味です。そこいら中でこれを作っているのは、この2日間だけです。あとは自分で作るしかないかな。
 屏風もお宝です。是非、来て、見て、食べてください。案内せよと仰るなら、「飲む」がつきます。米所ですから、お酒がまずい訳はないです。
 模型とは何の関係もありませんでした。
’11.10.15(土
 DF50のカプラーは押さえると、がばっと開いたままになってしましますので、取り替えました。取り外したヘッドは「ひけ」があるようなので、トリップピンの角度を変えるとOKな様です。
 また、ヘッドライトが付いて動かなくなったDF50は通電する基板にモーターからの接点を圧着していました。そうです、バネがへたっていたのです。応急処置だけにしました。
’11.10.14(金)
 「断捨離」の字を間違えていました。一応の車輌ケースの仕切りが出来上がりました。まだまだ、入りきらない物もあるのですが、下のケースは、もう10年も前に手に入れた「ワイシャツ入れ」、上のは百均のケース。どちらも今は売っていません。
何か、軽くて耐久性のあるケースを探さなければいけません。
’11.10.04(火)
 東京で仕入れたのは、(本線関係は)これだけです。
 モーターは、250円に値上がりしていました。東京100円、大阪200円だったと思っていたのですが。オークションで600円で売っている剛の者もいますが、たちまちは使う予定がないので、250円+送料でお譲りしますよ。ただし、お一人1個か2個にして下さいね。全部で10個しか買っていないのですから。
’11.10.01(土)
 2フィートの「ライブ」良いですねえ。でも、石炭は、大井川の方が良いようで、煙が来る度に煤塵が目に入り痛くなります。
 最後に、ED42の細部写真を撮りました。
 眼鏡橋まで往復3時間だと、夕方の待ち合わせに間に合いませんので、新幹線で上野まで帰りました。
 2日は、軽便祭。軽便工作日誌の方で。11月上旬の寒さに冷え込み、5日から雨という予報だったので、急遽3日に帰宅。約700km。10時間で、凍えました。
’11.10.01(土)
 単車で行っても、普通で言っても「横川」まで、片道3時間かかるようで、新幹線を使っていきました。
 着いたのがもうほとんど昼でしたので、早速峠の釜飯を食べました。
 碓氷峠鉄道文化むらでは、細部写真を撮り回りました。特にこのようにルーバーが開けられて中身が見えていたら。でも、きっと電気機関車なんて本気で作らないでしょうが。
’11.09.30(金)
 本日の午後から雨との天気予報でしたので、午前中に大急ぎで東京までやってきました。約180q。
 で、雨が降らないので、近くは通ったことがあるけど行った事のない新橋駅跡に。
 0キロポストに近い側がバラストで埋まっているので、「終点に近い部分はバラストで覆うよね。」と思っていましたら、明治の最初は、全線こののように埋めて、レールだけが覗いていたそうです。
’11.09.29(木)
 大井川鉄道の蒸気には乗ったのですが、井川線に乗っていなかったので、千頭まで単車でころころ行きました。千頭にはC56が上り列車の先頭について煙を上げています。井川線は、2時間後でないと乗れませんし、台風の被害で、途中までしか運行していませんでした。また、道中も水害の後があちこちにありました。
 待って乗ると、千頭泊まりになり、後の行程が困るので、井川線の動画を撮って、静岡まで。約200q。
’11.09.28(水)
 「名古屋行」のサボが不自然なので、触ってみるとなんと紙製です。「ふ、俺の方が上だぜ。何せプラ板で複製を作ったんだから。」なんて言っていましたが、圧巻はパノラマの人形。これはコンサート会場なのですが、あちこちに人が一杯です。走っている電車もほぼ満席状態。横に飾ってある新幹線もほぼ満席です。また、列車集電をしていてコードが車輌をつないであります。全体のコントロールは、コンピュータ制御でした。すごい。約350q
’11.09.28(水)
 C57139には、「それはないだろ」と突っ込みを入れました。テールに油灯が掛けてあるのです。横の蓋を外してのぞき込んだら、そこには電球が。
 また、蒸気動車は、明治村にいたときよりもきれいになり、近くから観察することが出来ました。バブルギア関係のピンが外れたままなのが気になりました。
’11.09.28(水)
 名古屋まで走って、リニア博物館へ。お目当てはC6217。41年ぶりです。しかし、何か雰囲気が違う。上写真は小さすぎて見えないか。現役時代の最後は、前梁にテールライトは埋め込まれ、缶水洗浄機があったのが、取り払われて、妙につるんとしていました。
’11.09.26(月)
 長期ロードです。2日の軽便祭を予定していたら、直方からお呼びがあり、博多まで足を伸ばして九重高原鉄道にお邪魔しました。
 祭寿司をだしに、たらふくビールを飲ませてもらいました。模型談義も楽しかったです。写真を撮り忘れていたのが残念です。
 翌27日に、直方まで。この駅舎に会いに行った訳ではありませんが、本命は、模型に関係がないので割愛です。で、この後いったん自宅に戻りました。食事をして風呂に入ってけいべん祭用に荷物を変えて、お休みです。ここまで往復900km。ずっと単車です。
’11.09.22(木)
 今日も、車輌ケースの枠作りをしました。安心して模型を運ぶには、徳島のI氏のようにアルミのケースを使ってと言うことになるのでしょうが、重くなるのが難点です。また、普段は展示棚に置いていたり、レイアウト上に乗っていたり(最近はほとんどないが)、ぱぱっと移し替えられる「汎用ケース」を目指しているのです。
 同じ入れ物でも、20m×7輛と21m×6輛の仕切りの様子です。17m級や、それ以下の貨車などはどうしようですが、まあ、これを基本にします。
’11.09.20(火)
 コッペルを走らせるために、試験線を磨いていますと、なんと丸く枕木が溶けています。この9mmのレールの間にあったのは、先台車復元バネのようなコイルスプリングが枕木と平行にあったのです。で、ショートしてご覧のように焼け焦げてしまっていたのです。
 びっくりして、即取り除きましたが、クライムシーンの写真を撮ってからにすれば良かったです。でも、よくここから火事にならなかったと胸をなで下ろす気分です。感謝、感謝。
 後は、昨日の続きで、スタイロフォームをちまちまと切っていきました。
’11.09.19(月)
 「断捨離」て言いながら、結局は、エアーパッキンを捨ててスタイロフォームにしているだけでした。
 試験線の掃除をしました。D51+5122(ウエットタイプ)のレールクリーナーです。
’11.09.18(日)
 運転会には、毎度、プラスティックケースに適当に車輌を入れてエアパッキンなどを詰めて持っていくのですが、11日の運転会では、向きが悪かったのか、カプラーが車体から外れたり、壊れたりした車輌が多かったのです。
 そこで、スタイロフォームを使って仕切りを作りました。このケースには21m級が6輛、20m級は90度向きを変えて7輛を入れることが出来ます。
 無理矢理8輛を入れていた物もあったのですが、中でカプラーが壊れていました。ケースは大事ですが、重いと持ち運ぶ意欲が無くなるので、折り合いが大切です。
’11.09.18(日)
 9月11日の坂出での運転会の様子です。8月26日には好調だった客車が全滅。トミックスの581系と、EF66がそれなりに走りました。
 で、ご本人の許可を得ていないのですが、右写真は、高松のK氏のスクラッチ9600、2軸テンダー機です。キャブ内の作りのすごいこと。もちろん、機関車全体が驚嘆の工作です。これを見せていただけたことで、参加した甲斐もあろうものと思います。 
’11.08.26(金)
 母校「うどん大学」の「おもしろワクワク化学の世界展」での展示運転に参加したのです。小さな見学者が目をみはって身を乗り出して見てくれていると、とてもうれしくなり、運転している甲斐があるというものです。
 我が子には、笑って「触らないでね。」なんて言わなかったので、「鉄」にはならなかったのでしょう……。
 D511084(全軸集電)+ペーパー客車は、3時間以上走り続けました。我ながらすごい。K先生、次の機会もよろしくお願いします。もうちゃっかり予定しています。
’11.08.25(木)
 やっぱし、1/1の作業が入りまして、1日仕事でした。で、やっぱり間に合いませんので、あれこれ取り混ぜてパッキンしました。
 ちょっと回りのごちゃごちゃが目障りなので、加工しました。
’11.08.15(月)
 40年ぐらい前でしょうか。「プラモデル」で鉄道模型が結構ありました。「みどりや」でしたっけ、D51のプラモデルを2両も走らせるようにしていました。しかし、それらは動輪等を使ってアダチのキット作成につながっていきました。
 同様に、「銀河鉄道999のプラモデル」も購入し、客車はまだ現役なのですが、機関車の記憶が一切なかったので、思わず「落札しました」。アダチに比べるとちょっと小さいか。と言うことはスケールだろう。しかし、ボイラーと台枠が一体になった構造だった。説明書も残っていたので、よく分かった。だから「廃棄した」のだ。
 しかし、40年ぶりに再入手したからには、生かしたい。けれど、半年近く模型を作っていなかったので、1/1も、ストラクチャも、パーツも、レイアウトも作りさしばかりになっている。どこから手を付けようかと思案投げ首です。
’11.08.13(土)
 1/1も錆を取り、それなりに再生してきました。(錆が無くなって)「それなら、家に持ち込んでも良し」と言うのが家族の反応です。
 また、模型の方は1形式1両主義でないために、罪庫が増えています。C51もサンゴのキットは大鉄型にしたので、もう1両欲しいとなってオークションでゲット。パーツもこのように少しずつゲットしております。
’11.07.18(月)
 やっと工作室に上がりました。台風の接近で、久しぶりに涼しそうなこともあり、やっと上がりました。しかし、工作室の中での一番の懸案は、1/1です。小糸製作所「LP47」が場所を占拠していて、ほかの工作は出来なくなっています。これを何とかしなければなりません。結構大きいんですよ。その上、風雨にさらされていた物ですから、「錆の固まり」、錆を落とすと本体が無くなってしまうような代物です。これを再生させる約束をしてしまったのです。
 すでに2週間はこれにかかっています。後は、特殊な錆止めの入荷待ちです。
ページを新しくしてから、「10万」ヒットを超しました。アップしていないにもかかわらず、温かく見守って訪れて下さった皆様、有り難うございました。
’11.07.03(日)
 午前中は、鴨方駅の改修に伴った「鉄道模型運転会」と、「記念講演会」に出かけました。 お世話になりました。
 帰りに、ぷかぷか線路と呼ばれていた、玉島臨港線の探訪。思っていた以上に遺構がありました。
 ついでに東まで走って(当然、単車)、吉ヶ原へ。元国鉄オハ35が運用されていました。午前中は、(国鉄で言う)キハ05が2両編成で動いていたとか。今日は1日で2回おいしい日だったそうです。模型にはまだたどり着きませんが、ちょっとは上向きかな。
’11.06.15(水)
 四日市に一泊して、三岐鉄道北勢線に乗りました。阿下喜まで遠かったです。これまた、床置きのクーラーが1両に2台も付いていますが、何でそんなに小さいのと言うカーブをいくつも通りました。ここも軌道強化されているそうですが、「3ft6inには、出来ないだろう。」と言う突っ込みを入れたくなりました。しかし、バリアフリーであることなど、すばらしいです。
 お隣を走っている三岐線の貨物博物館にも行きました。鉄道を使わなかったためにかえって大回りをしたようです。
16日から大雨だと言うことでしたので、単車で350kmを走って帰りました。
’11.06.14(火)
 単車を駆って、四日市まで。内部線に乗りました。写真は、四日市ー西日野間の列車。
 内部行きも同様な車輌でした。
 感想を一言で言うと、「小さい。」です。建築限界、車両限界、何でこんなに小さいのよ。と突っ込みを入れました。軌道は立派です。40Kgレールとか。それにしても、小さかったです。
’11.05.15(日)
 1週間、何にもしていなかったのですね。自分でびっくり。
 話のついでがあって、何年も前から思っていた宇野線(茶屋町−宇野)の調査に。
 メインは、橋台、橋脚、橋梁そのもの。煉瓦造りのすばらしい物が沢山残っています。
 その1つを撮っていると、213系がやってきました。車両があるとやっぱり絵になりますよね。
 それから、初めて線路沿いを走って行った八浜−田井間。こんなすばらしいロケーションがあったんだ。あの頃撮り鉄だったなら、EH10が、ボンネット特急が湘南や、旧国もばりばり撮れていたと思うと……。
’11.05.07(土)
 思い立ったら吉日。6日の朝に予約して、単車で馬路村温泉まで。
 日頃の行いが悪いのか、土佐くろしお鉄道には2日とも駅に着くと5分前に発車していて次は1時間後という状態でした。
 謝りながら走っている電車には乗りました。方向幕はLED化されていました。馬路村と言えばその奥は魚梁瀬。行ったのですが、金、土は動いておらず、しかも雲の中に突っ込んでびしょ濡れ。高知は暖かいというイメージがありましたが、とっても寒い思いをした2日間でした。リサーチ不足を痛感しました。しかし、このようなものも発見(地元の人にはおなじみかな)しました。
’11.05.05(木)
 加悦に行けなかったので、昨秋行きそびれていた井笠の教ヶ丸のホジ101とホハ8です。……Hゴム固定窓を始め、ガラスというものが全然ありません。踏切カンカンも、腕木信号も保存されていますが、見事に「残骸」となりはてておりました。
 笠岡駅前のホジ9も新しく塗り直されていますが、ガラス類は一切なく、カプラーさえもありません。どちらも屋根があるので、本体は腐っていないのですが。どの車両も「井笠」のマークもなくなっています。どう言っていいのか分かりませんが、残念ながら「破壊者」や「強奪者」が跳梁跋扈しているようです。
’11.05.04(水)
 工作ではありませんが、片鉄で「東北応援」をしていると言うことで出かけました。会津鉄道と山形鉄道のグッズを購入しました。内緒ですけど、「片鉄」のグッズは一度も買っていません。
 昨日は、下津井に行ったのですが写真はありません。
 「よし、思い切って明日は、加悦だ!」と思ってホームページを見ると、昨日今日が展示日でした。明日はなかった。残念です。
 単車での移動でしたが、今年はとにかく寒いです。昨日は完全冬衣装で、今日は春衣装でしたが下に一枚余分に着込みました。それでも走行中は寒かったです(じっとしていたら暑かったけど)。
’11.04.03(日)
 久しぶりに「片上」に。今日は、DD13551の牽く客車にキハも連結されて。キハ07(片上では形式が違うぞ)の断面積の小ささ。オハ61と同規格の客車より随分小さい。しかも、屋根の高さはDD13の方が高い。時代を感じる一こまでした。今年は、寒さが続いて展示運転日に桜は咲いていませんでした。何年か前にばっちり同期したことがあったのを思い出します。客車でご一緒した方は、はるばる博多から来られたそうで、帰りの運転の順番を打ち合わせておられました。近畿圏からも大勢の方がいらっしゃっていたようで、西日本、がんばっています。
 鉄を堪能したのですが、金曜日から腰が痛いのです。常時ではないのですが「うずく」のです。模型工作は、進展なし。
’11.03.04(金)
 2日ででっち上げた模型も、披露させてもらいました。
 で、うまくいかなかったフライホイールですが、悔しいので、手持ちのキドマィティに取り付けて、回してみました。
 効果がありますねえ。電源をオフにしてもしばらく回っています。
 一番心配していたのは、最後の突っ切りがうまくいかずにびびってしまって振れが出た事でした。そのたびに少しずつ削り直していたのですが、最後は「えいやっ」で確認できていませんでした。また、延長軸を固定できなかったので、すごく振れたので、「削り損なったかな。」と思っていたのですが、それもOKのようです。
 またの機会がありましたら、スペースに合わせてフライホイールを削りだして取り付けたいと思います。
’11.02.26(土)
 先日来、レイアウトの工作をしていましたら、材木入れの中から左写真手前のパーツが出てきたのです。
 で、プラ製機関車のパーツなので、どの車両かなと思って探しましたら、カトーのEF65の物でした。ゴム糊を付けて取り付けました。
’11.02.24(木)
 昨日のホーロー富士と同時に作った丸富士を使ってヘッドマークを作りました。、まあ、戦前C59だから良しとしましょう。
 オハフ61も2度目を塗装しました。
’11.02.23(水)
 先日の会話で、「KD専用工具ではないよ。」という話になりました。そこで探してみると、やっと3軒目のホームセンターで見つけました、この工具、そうです、KDカプラー用って売っている物です。
 ビーズなどの針金細工用だとか。
写真無し ’11.02.22(火)
 客車の車歴簿が完成しました。後チョコチョコっと、入力ミスを直して印刷をし直しました。
’11.02.21(月)
 貨車の「車歴簿」が完了しました。一番大物の客車の「車歴簿」を作成しています。110輛あります。
 実は、ファジーな所(ワム80000のほとんどや、阿知電鉄の17m級車が休車扱い。また、作業の完了していない25系客車やモハ481系は現役扱いなど)がありますが、枚数を数えると、なんと420枚もありました。
 備南鉄道(阿知電鉄、甲知鉄道、丹蕪録軽便も含む)は、こんなに在籍しているんだ。訳が分からなくなるはずですね。また、DCCは、夢のまた夢でしょう。そのうち、デコーダーが1個100円ぐらいになったら考えましょう。
 我が家のレイアウトで、こんな写真が撮れるようになりたいです(ささやかな妄想)。
 そう、リアリスティックウォーター(KATO)を購入しました。小川の再製に使うつもりです。
’11.02.20(日)
 徳島のI氏と梅小路で合流しました。10年ぶりぐらいの梅小路で、C57,58,56等普段は居ない蒸気が居て、ラッキーでした。動いているC61はなんとスリップばっかりする。こんなの初めてです。
 今日の一番の目当ては、メセナ枚方でのHNモジュールの運転会です。最新作の「スユニ30」をDD13の牽引で走らさせていただきました。風景のあるレイアウト、DCCは、いつも新しい刺激をいただきます。
 シーナリーばっちりになった備南鉄道を妄想しながら、新幹線で帰りました。
’11.02.15(火)
 溶けた雪の隙間から、蕗の薹が顔を出しています。春ですねえ。
 文書としては、どういう工作をしたか訳が分からなくなりましたので、備忘録を書いています。また、どの車両にどのような工作をしたかが分かるように「車歴簿」も作っています。現在は、これの確認中です。400輛近い車両になりましたので、今後「惚け」ても、ただのゴミにしないためにせっせとまとめています。すでに印刷した物(元々は手書きで始めた)も含めて、かなり記入漏れがありますので、しばらくこの作業を続けます。
’11.02.14(月)
 昨日から、図面の整理や、文書の整理をしております。
 で、今日は、朝からずっと雪。ワンコの散歩も早めに出かけました。近所の公園も「どこの雪国の公園だ!?」と言うぐらいきれいでしたので、わざわざ写真を撮りに出なおしました。
 ここ10年ぐらいは、スノータイヤも買っていないし、1度チェーンを着けたきりかな?明日の朝の凍結が心配です(本人はプータロウなので出かけないのですが、私以外の家族がみんな出かけますので、一応)。
’11.02.11(金)
 スハシ32と、スシ37用に座席を作ります。交通科学館のマシ29(?)の写真をもとに。と言っても、木製で臙脂の革張りの独立した椅子でしたが、そんな物は作れませんので、茶色の画用紙を折り曲げて座面として、バルサ材を黒く塗って、アンコにします。
 4人掛けと2人掛けがありますので、作り分けます。奥がスハシ用です。
写真無し ’11.02.10(木)
 今日は1日、1/1の図面と格闘。
’11.02.08(火)
 新車が続々(?)完成しています。車歴簿の新製や更新等の整理。手書きの工作日誌を読み返して、1輛1輛について、何時作り始めて、どういう工作をしてと言うのを確認していきました。結構手間がかかります。
 さて、工作ははご覧の通りわずかなパーツを切り抜いただけでおしまいです。
 蕗の薹が顔を見せています。小さな蕾を味噌汁に入れて、「春」を満喫しました。
’11.02.07(月)
 マイネ38の座席と背もたれを作ります。図面の大きさに作ったのですが、少し大きかったようです。

工作日誌その06