車両工作日誌 下から日付順になっています。 |
W屋根客車作製その3(戦前富士・燕) ’15.12.02〜’ |
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’24.04.13(土) スハ3221、スハニ318に座席を取り付けましたた。スハ32は松本模型製品改造。スハニ31は床板が外れやすいので接着して、屋根を外して工作しました。レイアウトの上ではそれなりに見えるので、良しとします。背もたれは、「柱、板壁色」を塗ると良いのかな。 |
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’24.04.12(金) 1昨日作った「ハザ」用の座席をスハ3222に取り付けました。細かく見れば「ムラ」がありますが、ま、遠目で見ればこれでいいでしょう。 もう1輌分ぐらいはあるようなので、明日も、も1両取り付けようと思います。 |
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’24.04.10(水) スロ346に裏側から、座席を取り付けます。車体を組み立て、照明を付けてみました。うっすらと座席が見えます。良しとします。 |
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’24.04.05(金) スイテ48にもソファーを取り付けました。照明は「夕庵式」ですが、この車両は、コンパートメントもあって、室内は仕切りだらけです。光が拡散するように「つなぎ目」を増やしてはみたのですが、展望室には、ほとんど光が届いていません。作り直すにしても、椅子や仕切り越しにですので、超困難。ちょっと残念です。 |
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’24.04.04(木) スイテ39になんとか椅子を取り付けられました。車掌室、喫煙室の配置を間違えていたので、窓セルを修正。緑の椅子を取り付けました。クロスシートは、バルサと紙での自作です。 で、次は、スイテ48です。室内仕切りは取り付けていたので、後は座席。これも、トイレ、喫煙席の窓を間違えていましたので、窓セルを修正。 「明日の心だ〜」 |
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’24.04.03(水) ちょっと加工して、展望車にソファーを取り付けたのですが、なんと、床上にある「重り」のことをすっかり忘れていました。座席のほとんどが2mm位置が高くなってしまっていたのです。 やり直しです。あ、夕庵式の室内灯も一部加工しました。トイレ部が一番明るいのがしゃくに障りますが、展望室まで明るくなっているので、まあ良しとします。 |
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’24.04.01(月) 座席の色が気に入らなかったので、「マルーン」を購入。吹き付けました。つや消しを入れたはずですが、まだ光沢がある。でも良しとします。 |
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’24.03.30(土) マイネ385の室内が、がらんどうでした。車体が鱗が剥がれるようになって「廃車」にした382の室内を移植しました。 で、気になっていた「がらんどう」の客車の室内を作っていきます。まずは、スイテ39(と48)。座席にはカバーが掛かっていて「白」だったのではと思うのですが、えんじ色のモケットが良いんじゃねと思い、「赤」を塗りました。ちょっと赤すぎるかな。で、室内仕切りを取り付けて‥。金属車両用のパーツを紙製の車体に乗せるには,結構加工しなければなりません。‥時間が掛かる! |
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’20.07.11(土) 松本模型製の客車に「エースカプラー」を取り付けていました。で、付属の2φ×6mmのネジを使っていたのですが。位置を修正するために「込み栓」をして穴を開け直しています。で、6mm長のネジですと、2mm弱しか床板にねじ込まれていないのでした。で、ごらんのように「ぐらぐら」ならまだしも、外れてしまいます。 で、2φ×10mmのネジを購入して付け替えました。ネジが停まるまで回しますと、やっぱり、ちゃんと固定できました。金属工作と木(紙)製工作の違いを久しぶりに実感しました。 さらに、車輪が黒く汚れていたので、掃除しました。 |
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’20.07.07(火) 戦前燕の最後の1両、スロ346に室内灯と、仕切りを付けました。 |
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右奥に銅パイプで繋いだところが見えます。中央あたりが、プラ棒を切り取り、プラパイプで繋ぎ直したところです。接着剤にも反応していますが、明るいリングが見えますでしょうか(押し売り)。ずいぶん明るい範囲が広がりました。 |
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4ヶ月近く経っている。 |
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「くろま屋さん」から、インレタが届きました。 |
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’20.03.14(土) マイネ38の車体を塗装します。今日は天気が安定しませんでしたが、雨の間を縫って吹き付けた次第です。 白帯を吹き付ける頃には気温も下がり、余りうまくいきませんでした。で、そこら中をタッチアップして、レタリングをしてから、トップコートを吹き社紋を貼りました。 窓セルも、パーツを貼り付けましたが、スハニ31共々「プラモの悪い例」で、窓ガラスがゆがんでいます。先週見せて頂いた「ヨーロッパ型模型」と比べると、ひどすぎます。1980円の中村のプラ車体だったら、まだ許せるでしょうが、小1万もする「車体だけ」のモデルですので、ちょっとね、愚痴りたくなります。 スハニ31の時に思い切ってパーツを捨てて、プラ板の窓セルを貼っていたらちょっとは違っていたのでしょうが。そんなことは出来ない小心者です。 |
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’20.03.14(土) さて、スハニ31の「荷物」の表記の位置が違っていましたので、マスキングして消します。スロも2段に「30761」が時代的には合うのでしょうが、この上に備南の社紋も貼りますし、この時代の客車の形式分類には疎いので、戦後の型番に合わせたレタリングをしております。このスロ30761もスロ346に変えました。 スハとスシともレタリングをし、社紋を貼り付けました。スハ32の位置を少し間違えたようですが、もうそのままにします。 |
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’20.03.14(土) 木の芽時です。ちょっと、工作が停滞しておりました(いつものことか)。カプラー取り付け穴を開け直して、カプラーを取り付けます。 また、板重りを切り出して、1両を180g前後まで増やしました。これは、「戦前富士」の車両にも適応しました。 これで、組み立てレイアウトのレールの継ぎ目でも脱線しなくなるだろうと思います。また、どこかのレイアウトに乗り入れさせてもらって、チェックしなければ。 |
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’20.03.08(日) 「補重が足りない」ことが判りましたので、車両を修正します。ついでにせっかくの伸縮カプラーも連結面間が広すぎます。元のネジ位置と、干渉しないように開けた新しい穴の中間ぐらいに開けるのがベターでしょう。 また、そうすると、床板が取り外せなくなるので、切り欠きを付けました。 糊が乾いてから穴を開け直し、ウェイトをもう30gほど載せます。 |
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’20.03.06(金) 戦前燕が無事走行したことを確かめて、しばし休憩。 戦前富士置き換え用のイネに手すりや、雨樋を取り付けました。 |
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’20.03.06(金) スハニは104g。鉛板を貼り付けて138gになりました。 数字が合わないのもあるのですが、100gを超えると2gおきに表示されるスケールですので、誤差の範囲内かと思います。 で、7両が140g+−αでそろったところで、本線で、試運転。アッは、蒸気工作日誌C51248。 |
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’20.03.06(金) スハは110g。鉛板を貼り付けて144gになりました。 |
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’20.03.06(金) スロ(マツモト)は104g。鉛板を貼り付けて138gになりました。 |
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’20.03.06(金) スシは152g。 逆に、床下の活字金を1つ取り外しました。で、144gになりました。 |
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’20.03.06(金) 床下にはもう積めないので、床上に。となると、鉛板です。積み込み前の写真を左側に載せていますが、最初にこれらを量ってから、大体の大きさを決めたのです。 ペーパー車体の補強を避けて、幅24mm、長さは重り板の半分にしますと、1枚が38gです。これでいいだろうと言うことで、床上に貼り付けていきます。 |
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’20.03.06(金) 自作スイテは144g。スロは136g。この2両は、戦前富士でも問題なく走っていたので、140g+−αで調整します。 軽すぎても、実は脱線するのです。連結器で横向きの力がかかるので軽すぎるのは問題です。また、重すぎると機関車が牽引できません。真鍮車両の250gって論外です。比較して言うとこの編成を真鍮製車両で作成すると、3両ほどしか連結できないことになります。となると、テンダーにもモーターを入れ、スハニを幽霊にする?そうすると、この編成の場合は水槽車が押されて引かれて「脱線」します。 R1000のカーブで勾配0だったら可能でしょうが、備南のような小さな(それでも6畳分)のレイアウトでは、編成物(特に機関車牽引)を走らせるには、それなりの工夫が必要です。 |
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’20.03.05(木) プラの2両には、まず、内側に「銀」を吹き付けました。光漏れをなくすのには、一応「金属膜」が一番良いのではと思ったからです。その後屋根裏には白、車体内側には、「柱、板壁色」なる物を吹き付けました。しかし、多少ほかの色が混ざっても困らないので、マスキングはしません。他の4両も含めて屋根に「ジャーマングレー」を吹き付けました。 スハニはその後、車体に「ブドウ色1号」、床下は、マイネ共々「黒」を吹き付けました。スハニにはさらに、赤帯を吹き付けて、インレタを貼り付けました。「車掌」の在庫が無いので、そのうちに。窓ガラスのパーツをはめ込みましたが、プラモ独特の窓になりちょっと不満です。また、保護棒も、近々。マイネは手すりにたどり着きません。 この後は、スイテが一番重いようなので、「燕」編成の車体重量の調整をします。 |
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’20.03.04(水) スハ32などにも、活字金の重りを追加します。軽すぎても、脱線の原因になります。 さて、「燕」にとっては番外編ですが、マイネ38も組み立てます。「屋根の塗装」がスムーズに出来るように、全体を組み上げました。手すりや、雨樋は明日以降です。 蓄電池箱の裏にもですが、水タンクの中にも1つ、活字金を入れました。 特に3軸台車の位置が「スケール」では備南鉄道を走らせることが出来ません。キットのままでは、550Rの試験線でも脱線します。カプラー位置とも併せて加工しなければいけないところです。 |
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’20.03.04(水) 「マツモトモケイ」のスハ32とスロ34のボルスターを作り直します。1tの真鍮板は、365×200ぐらいの物しかありません。で、シャーで365の方を切り落としました。5mm間隔で卦がいて2φ穴をあけ、10mm間隔で切り落としながら、8角形に切り落としていきます。今回必要分は、3両分6枚ですので、それを重ねてネジ止めして、久しぶりに旋盤を使って削り出しました。ネジで留めて咥えていることと、刃の位置が悪かったこともあり、結構時間がかかりましたが、それなりの「ボルスター」ができあがりました。 両端を真鍮釘で押さえていた板のボルスターを外して、新しく作った物に取り替えます。高さはこれで、ちょうど良くなりました。 |
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’20.03.04(水) 屋根を組み立て、ベンチレーター等を取り付け一応の仕上がりです。今日は、雨がザンザ降りですので、塗装は明日以降。 車体が、余りに軽いので、蓄電池箱の裏に活字金を3つほど瞬間接着剤で取り付けました。 |
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’20.03.03(火) スハニ31に、雨樋、手すりを取り付けます。まあ、すっきりしないこと! 車体には、床板取り付け部分を貼り付けて、床下パーツも取り付けたところで、タイムアップ。 今日は、調子が悪く、取りかかりが遅かった。 また、塗装をするなら、同系車を一緒に塗るのが効率的なので、この後、車体外板がボロボロと分解している「マイネ382」の置き換え用の「Maxモデル マイネ38」も組み立てます。 |
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’20.03.02(月) 手元にあるマツモトモケイのWルーフ車のベンチレーターは「プレス」製です。他の車両とそろえるために、「ごにょ」パーツと取り替えます。しかし、以前の物より接着剤が強力なので剥がすのに、苦労しました。 それから、デッキ扉に窓セルが入っていませんので、入れました。貫通幌部分からピンセットで糊を付けてからそろそろと貼り付けました。 写真は「都合上」ありませんが、スハ32×2、スシ37、スロ34の4両にもこれらの工作をしました。 また、ボルスターセンターが、プレス物です。1t真鍮板から、削り出した方が良いような気がします。 |
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’20.02.17(月) 戦前富士は、スイテの室内を残して一応完成しております。一方で、戦前燕用の車両もスイテとスロ1両は、紙自作でそろえておりました。しかし、進捗が無いままでした。一年ほど前にオークション経由で、マツモトモケイのスハ32×2、スシ37、スロ34をゲットしておりました。あとスハニ31を1両と思っていたのですが、販売元にも無く、結局「マックスモデルのスハニ31」を入手しました。統一感が取れるのかなと思いますが、老眼で薄くなった目で「これで良し」としましょう。 で、スイテにマジックで1本の縦縞を4カ所。マイネには、プラス手書きで「寝台」と書いたのですがない方が良いようです。 それから、スシ37に「食堂車」、スロ34とマロネ37には白ペンで縦縞2本を書き入れました。 |
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’18.08.27(月) 昨日の運転会で走らせますと、思わず「蛍光灯じゃん!」と叫んでしまいました。点灯して良しとしていたのですが、電灯だよね。 で、白色LEDにクリアーオレンジを塗ります。 また、マイネ382は、紙がぼろぼろ砕けていきます。今回は、妻板が片方崩れました。紙の性質(酸性紙を使ったらしい)だと思います。小さな部品が剥げていくことはあっても、ここまで砕けたものはありませんので。 |
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’18.08.17(金) 夕庵式の室内灯を組み込みます。 まず、スイテ481に。その後、スイテ392に。 ちゃんとついています。 その内に、内装をしたいなと思っています。 |
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’18.08.15(水) まずは、補重。これで150gぐらい。でも、しんがりで、問題はなさそうです。 窓セルを貼ります。オハ31系の所に書きましたが、磨りガラスは、お手製です。 この後、社紋を貼り付けました。インレタには、クリアを筆塗りしましたが、かすれてしまいました。「吹きつけ」の手間を省いたばかりに,ぼてっともしています。 内装は、その内に。 |
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’18.08.14(火) あちこち、タッチアップ(室内仕切りの塗装も)。 補重も窓セルもまだですが、レタリングをしました。表記の位置が違うのは分かっているのですが、「備南鉄道」として統一 しています。 |
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’18.08.12(日) ルーフィングサンドをぱらぱらした後、も一度グレーを吹き付けました。斑があるのは、やっぱり撒き方に問題があるのだろう。 さて、リターダーシンナーが染み込んだ跡は,タッチアップをします。 台車とカプラーを付けて、右下「戦前富士」、上「戦前燕」。 |
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’18.08.11(土) シルの下側に隙間を作って、マスキング。等級色の白を吹き付けます。ついでに展望デッキ天井にも白を吹き付けます。 これらをマスキングして、一応屋根色のグレー(ドイツ空軍機色)を吹き付けました。 ルーフィングサンドを撒くにしても、前回のぱさつきから、下地が必要だろうと思いした。 |
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’18.08.11(土) 車体の塗装。昨秋出かけた六甲モデルで購入した、ブドウ色1号を吹き付けます。 展望デッキ部分も、下回りをマスキングして、ブドウ色1号を吹き付けました。マスキングは、写真の如く。 |
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’18.08.10(金) スイテ2輌の床下を塗装。デッキ部分を塗装する時には、「マスキング」を考えなければ。 |
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’18.08.09(木) ドア裾に1mm紙帯を10mm幅に切って(チョッパーを使い、量産)貼り付け、床板を表現。 妻部にハシゴを取り付ける(エコーのパーツはWルーフ用でない,とあるので、アダチのプレスパーツを半分にして)。 で、オハ31系と一緒に、金属部分にプライマーを吹き付けました。 |
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’18.08.08(水) スイテ2輌にデッキステップを糊付けしました。もう少し取り付けなければいけないパーツはあります。 |
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’18.08.06(月) スイテ39にもデッキに手すりを取り付けました。 後はデッキステップと、屋根上のステップかな。 |
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’18.08.05(日) スイテも「完了だ!」と思ったら、手すりがまだでした。 直ぐには、治具も見つからず、まずは、スイテ48のみ、手すりを取り付けました。 そう言えば、デッキステップもまだですねえ。 |
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’18.08.01(水) 台車マウントカプラーや亀さんカプラーを装着していたために、せっかく紙の積層で作ったアンチクライマーを削り落としていました。 台車を交換し、エースカプラーを取り付けることで、Nゲージのような切り欠きは必要なくなりました。と言うことで、アンチクライマーをまた取り付けます。カニの「亀さんカプラー」もKD+エースに取り替えました。 |
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’18.07.31(火) スイテ2輌に、縦樋と雨樋の2段目、それとベンチレーターを取り付けました。 デッキそのものや、手すりを付けねば。それをすると,塗装ですね。 |
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’18.04.22(日) スイテ2輌にサフェーサーを吹きつけます。 サフェーサーを吹き付けた後で、シルヘッダーを貼り付ければ良かったんだと思い出しました。あちこちに「木工ボンド」がはみ出しています。 それなりにやすりがけをすると、取れることは取れましたが……。何だかすっかり紙工作を忘れています。 |
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’18.04.21(土) 雨樋1段目を貼り付けて、そうだ、これが必要だったと思い出し、キャンバス止めをたくさん印刷して、切り出しました。 で、妻板に貼り付けて、雨樋も切り落としました。 屋根の整形をして、縦樋を取り付け、雨樋の2段目を取り付けると大体形になると思うのですが。 |
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’18.04.19(木) 展望車に、シル、ヘッダーを糊付けしました。オハ31系とも連携していますが、上屋根の縁を糊付けしました。 床下器具の色?気にしな〜い。 |
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’18.04.13(金) 車体と床板をネジ止めしました。 台車も取り付けました。展望デッキ側は寸法通りですが、連結面は、カプラーとの当たりを避けるために、約4mm下げています。 |
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’18.04.12(木) そうだ、イテが未完成なのだ。 上屋根の整形。 |
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’18.04.11(水) 書き忘れがあるようです。カニの台車を小高製にすると、脱線しなくなりました。 結局は、自作(?)台車のエラー、その後のドロップ台車でも、不正確な工作が原因だったようです。 これで、カニ、マロネ×2、スロの4輌編成が、脱線せずに走るようになりました。 で、スシとマイネの台車センターピンをオリジナルに直し、カプラーをエースカプラーに交換します。 スイテがまだ出来ておりませんので、同じ台車のマロネ29を一番後に付けて走らせると、何と、脱線せずにスムーズに走ります。 スイテを頑張って作ろう。 |
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’18.03.31(土) ロネの台車をドロップ製に取り替えます。カニの台車も、ドロップスウィング化台車に振り替えました。 「あの、ガシャガシャと脱線していたのは何よ。」と思えるぐらいスムーズに走るようになりましたが、カニは相変わらず脱線します。自作亀さんカプラーのせいなのか、自作スウィング化台車のせいなのか、判断が付きません。まあ、亀さんカプラーが時々引っ掛かってしまうので、そちらのせいでしょう。 テが未完成なので、完成するまでにゆっくりトラブルシューティングしていきます。 |
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’18.02.09(金) おでこを整形しました。鉋とカッターナイフでの荒削りだけでしたが、それなりに、順調に作業が進んでいるような気がします。 |
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’18.02.08(木) おでこに、段差をもうけていましたが、削っていく時に違和感を感じました。 で、端まで上屋根を延長します。バルサ材を木工接着剤で貼り付けますので、しばし乾燥してから工作します。 |
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’18.01.29(月) 20m級Wルーフ車を作ってから、もう7年になるんだ。月日の経つのは早いもんですなあ。「テ」が出来ないために、編成としてはまともに走っていませんね。だから、燕用のスイテ48も作っているのですが。 台車の算段は、頭の中だけでは出来ているのですが、不安なところもあります。 で、屋根をバルサ材から切り出して糊付けしました。おでこ部分の6tバルサがこれでもかと言うぐらい硬い物でした。上屋根用の2tバルサ材はそれなりでしたが、木目のためになかなか平行にならず、最後は、ご覧の通り、ゴムバンドで固定しました。ちょっと長さが足りなかったようです。削りながら、整形していこうと思っています。 |
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’18.01.04(木) スイテ39には、モニター部分を。スイテ48には、下屋根部分を糊付けしました。側板がかなり反っているので、木工ボンドで貼り付けて、ゆるゆると歪みを取りながら位置決めをしていきます。結構時間がかかりました。でも、それが、紙、木工作です。下屋根のデッキ部分は、乾いてからそれなりに削ります(スイテ39は削りました)。 |
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’18.01.03(水) いつになったら出来るのだろうというWルーフの下屋根の材料(20m級)を切り出しました。バルサです。厚紙から切り出した治具を元に、カッターナイフで大まかに削りだし、「水ペーパー空研ぎ」で、整形します。 半年ぐらい、工作をしてなかったことが分かります。「戦前富士」と「戦前燕」の2編成が進行していますので、ページを分けるかな? それから、17m級もありましたね。工作の手順は一緒です。 |
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’18.01.03(水) 小高の展望デッキからの加工です。模型化図面はスイテ39しかありません。板の厚みが違いますが、1段付け加えてスイテ39用に、また、スイテ48用も同様に作りました。手すりのために小高のセットを1つつぶしたのですが、仕方ありませんね。 |
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’17.12.17(日) 展望デッキ側の側板がちぎれかけてきました。で、デッキ上の妻板を取り敢えず接着しました。 糊が乾くまで、また放置です。 |
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’17.12.09(土) 下側の角棒を取り替えます。まず、切り取って。 改めて3mm角棒を木工接着剤で取り付けます。 |
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’17.12.02(土) 半年間ずっと放り出していたもの。目に見えるところにはあったのですが、手が着きませんでした。 やっと、床板を取り付けました。展望デッキは、「スイテ49(小高)」製ですが、バーの位置を変えてそれらしくするつもりです。 しかし、何を考えていたのか、下側の角棒が2mmです。3mmでないとネジ止めが難しくなるのに。 |
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’17.08.25(金) 2行下の展望車のデッキを組み立てました。 ドアは、長尾地鉄さんから頂いたパーツの残り物です。 放置期間が長いなあ。 |
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’17.08.23(水) マニ37の台車を小高製に取り替えました。センターピンの位置も元に戻して。走らせようとすると、機関車はショートする、客車の連結もおかしい。 機関車はまた、別途修正ですが、客車も、カプラー、センターピンをもう一度検討する必要があるようです。 |
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’15.12.25(金) 昨日、工作日誌13で作った客室仕切りを使って、スイテ39,スイテ48の2両を組み立てました。 展望デッキ側は、それなりの自作パーツです。 ドアが沢山要りますねえ。 |
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’15.12.03(木) 2輌の妻板を作りました。デッキ側の妻も作ったのですが、写真を撮り忘れました。 車体仕切りなど、今後は「備南流」Wルーフペーパー客車作成方法に則って作っていきます。 |
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’15.12.02(水) 一番おしりの展望車だけが真鍮キット組立で、「脱線列車」にしかなっていない「富士」の展望車、スイテ37をやっとペーパーで作ります。窓を切り抜き、スプレー糊を吹きつけ、内張に貼り付けます。いずれも、いさみやの印刷用紙0.25tの縦目と横目です。 ついでに、つばめ用のスイテ48も切り抜いて貼り付けました。 |
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