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オハ60系 製作記 その1
’20.03.15〜

その2はまだない

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 写真をクリックすると、拡大写真が見えます。
’24.05.03(金)
 この4両編成にも、座席を取り付けました。
 これで、このシリーズの工作も一区切り。4年も空白があったのか。なかなかですねえ。 

’20.06.30(火)

 デッキ部分に紙を貼っていないとドア窓から「白いプラ板」が見えて、トイレ窓と同じようになります。で、ドア側にも「紙(ドア枠などが印刷してある)」を貼り付けました。また、テールライトのレンズを入れました。古い宮沢かどこかのプラパーツです。ちょっと太めでしたので、ケースの方も穴を広げレンズも根元を短くしてなんとか、格好が付きました。
 昨日の写真では、「プラ棒」の継いだ先が突然暗くなっているようですが、3行下の26日のように「漸減」してしまわないので、結構明るい区間が長いです。キハ18の室内灯の様子も見てください。

 

’20.06.29(月)

 下の写真を元に意を決して「オハ6040」のプラ棒を途中で切り落として「プラパイプ」で継いでみました。写真の向きが反対なので違いは分かりにくいですが、下の写真では全く明るくなっていない奥のデッキまで明るいような気がします。
 で、「オハフ6040」のプラ棒も途中でプラパイプで継いでみました。確かに継ぎ目のところも(まで)明るいですが、その先は、余り関係ないような。「これは繋ぐ位置に関係があるかも」と勝手に思っています。
 それはさておき、オハフ60も仕切り板を入れましたが、車掌室側デッキの始末が良くないし、テールライトに赤レンズを入れていないし。また、そのうちにと言うことで。

 

’20.06.27(土)

 オハユニ71のテールライトも点灯化(こちら側だけですが)。仕切りも全部入れて、トイレも。
 オハ6040にも夕庵式室内灯を取り付け。続けて(もたもたしながら)42にも同様な工作をしました。違いがあります。40の方は、1本のプラ棒、42は、ケチって途中で繋いでいます。
 繋いだ方が、途中で光が乱反射するためか、全体に明るいです。
 その後、客室の仕切りを取り付けていますが、ちょっとまた、改造した方が良いのかなと思います。と言うことは、「在庫が減らない」と言うことか!

 

’20.06.26(金)

 オハユニ716にプラパイプ、プラ棒を使って、夕庵式の室内灯を取り付けます。客室等の仕切りがないので、昨日作った物を順次取り付けていきます。まずは、客用デッキのみ。これに、トイレを付けなければ。
 でも、まあ、横から見ると、とってもそれらしいです。
 座席も量産しなくちゃと思うのですが。まあ、そのうちに。

 

’20.06.20(土)

 床板と車体もはめ込んだままでしたので、ネジ止めしました。
 また、一部、カプラーポケットと台車が干渉します。「例の伸縮カプラー」ですので、当鉄道走行のためにセンターピンの位置を変えて対応します。
 レールの汚れをなんともしていないので、「気持ちよく完走」とはなりませんでしたが、まあ、脱線せずに走行するようになったので、良しとします。

 

’20.06.20(土)

 当鉄では「最新作(まだ作成途中)」のオハ60系を明日の運転会のために、試走させました。と、脱線ばっかり。よくよく見ますと、ウェイトも積んでいない。でまずは、補重。150g強ですが、ま、4両編成の区間列車と言うことで良しとします。

 

’20.04.05(日)

 屋根の肩に、線が残っていますが、もう良しとします。窓セルを貼り付け、レタリングをしました。
 ナンバーは「オハ60 42」にしました。「オハ」のレタリングがなかなかうまくいかず、何度もやり直しました。
 で、オハ60系は、完成、終了。
 客車庫に登録していなかったので、また明日にでも。

’20.04.04(土)

 屋根と床下を塗装して、屋根をマスキングしているときに、「手すり」を忘れていることに気づきました。
 で、ジグを一部修正して、手すりを取り付け、車体を塗装しました。
 これで、2両目のオハ61は終了かな。室内灯、仕切り、座席などの工作がありますが、明日には、ひとまず完成と言うことになるのかな。 

’20.04.04(土)

 お気に入りの台車が少なくなっているので、「日光」を使います。前回の失敗を反省して、ブレーキシューのパーツを並べて、まずは1つ、仮止め。「全然違うじゃん!!」で、同じ向きで合うところと合わないところがあることを確認して(見た目では区別できない:出来る人:ヒントを教えて!アダチの2軸台車のように裏側にペタッと貼り付けるだけのパーツが良い)取り付けました。
 で、床下とベンチレーターを取り付けて、完成した気分。

’20.04.03(金)

 で、再度、サフェーサーを吹き付けました。
 生乾きですが、裏返してこちらからも一吹きしました。 

’20.04.03(金)

 まずは、屋根の整形のために、サフェーサーを吹き付けました。この後は、ほかの工作をしていました。
 で、そろそろ乾いた頃を見計らって(速すぎるか?)屋根部分の筋をやすりがけして消します。
 ついでに、シル、ヘッダー、雨樋をのり付けしました。 

’20.04.02(木)

 オハ60に妻板を貼り付け、箱に組み立てました。ここまでの失敗は、接着剤がきちんと回っていなくて車体側板がミルフィーユ状態になってしまったこと。これは、瞬間接着剤をタポタポと流し込んでなんとかしました。「タミヤの白」の特性が判ってなかったと言うことでしょう。
 また、妻板を2段階に分けて組み立てたことで、隙間が出来ました。これは、パテで埋めました。
 屋根の「すじ」は、昨日も書いたとおり不要でした。屋根カーブについては、今回自分がしようと思ったことをするなら、切り落として屋根板を別に作る方が良かったです。
 この後、この「すじ」を消すために、サフェーサーを塗って空研ぎします。檜棒の補強も付けましたが、紙を折り曲げて凸状にした補強ものり付けしました。うまいことくっついているのかどうかは、明日確認します。

’20.04.01(水)

 キットを切り出して組み立てます。窓などは、コーナーあたりをちょっと切るというよりも、カッターの刃を少し入れるぐらいの感触で、すいすい切り抜けます。で、枚数が多いのですが、思った以上に簡単でした。
 屋根カーブは、昔からの「1mm間隔で筋を入れ」ましたが、かえって穴が開いたところが出来ました。でも、屋根の肩の部分のカーブは、これじゃないと表現が違ってきます。
 で、妻板以外を接着しました。糊は、指定の「タミヤの白」を使ったのですが、なんせ初めてですので、うまく回っていないところがあります。その部分には、瞬間接着剤をしみこませました。これが出来たのは、片面だけです。
 しかし、切り出してから約2時間でここまで形になりました。「組み立てキット」の状態でも、供給してくれる人があることがありがたいです。 4両1編成「1パック」にする予定です。
 あ、オハフ60の妻ステップの位置は、42系とは、全然違っていました。後の祭りです。

’20.03.30(月)

 3両に、レタリングを貼り付け、クリアーを吹き付けました。窓セルも貼り付けましたが、構造上、ストックしているプラ板がそのままでは使えません。少し幅を狭めてから、縦の補強にかからないように貼り付けます。ちょっと手間でした。
 荷物室の保護棒の窓セルは、半分にしますと何とかなりましたので、「ちょっとおいしかったかな」と思います。
 さて、A4クリアケースは4両分あります。「もう1両」と思っていましたが、オークションで未組み立ての1両を入手しました。「組み立て済み」が魅力だったのですが、「+1両」の誘惑に負けてしまいました。
 屋根の曲げ等、技法が違いますのでエッチング板以上に、組み立てに気を遣うと思うのですが、思った以上に紙が薄く、案外すんなりといくかもと思います。「やってみなくちゃわかんない。」です。

’20.03.26(木)

 車体に、ブドウ色2号を吹き付けます。床板に台車を取り付けます。オハユニ71の台車は加工しましたし、写真はありませんが、KD+エースカプラーのポケットも加工しました。加工しなければ、550Rは通りません。
 窓セルも入れていませんが、なんとなくできあがった気になっています。「良いだろ!」 

’20.03.25(水)

 オハ60系の屋根はジャーマングレーを、床下には黒を吹き付けました。ちょっと艶が出すぎたようで、ピカピカしています。艶消しクリアーを吹き付けようかなと思っています。
 車体は、ブドウ色2号を塗るつもりです。三等の3本線も無しにするつもりです。

 

’20.03.23(月)

 出入り台に手すりを付けました。ジグの寸法を間違えていて、1本1本曲げ直しました。スハフ60の妻板にステップを取り付けました。使ったジグはスハフ42用ですので、位置がなんとなく違うか?
 オハユニとスハフの車掌室側の裏側にライトケースを取り付けました。
 オハには共通部品のせいか、テールライトの穴が開いています。2φプラ棒がぴったりですのではめ込みました。しかし、なんぼぴったりと言っても隙間が出来ます。パテで埋めてやすり、も一度サフェーサーを吹き付けました。

 

’20.03.21(土)

 午前中に、車体の表側から一吹き、下回りにも一吹き、サフェーサーを吹き付けました。
 午後、日も暮れかかってから、車体裏側と下回りの吹き残しの部分にサフェーサーの2度目を吹き付けました。今日は、これでおしまいです。 

’20.03.20(金)
 ままよ。オハユニ71はドロップのTR23。どこの製品は判らないが転がりが悪い。 オハには「日光」のTR11、オハフには「小高」のTR11を履かせます。日光の枕梁の高さが低く、ボルスターを2枚重ねにしました。
 水タンクは、鉛製の物です。あとは、ごにょごにょばっかり。あ、これらも手すりがまだだった。
 3両で、ローカル線の雰囲気がありますね。
’20.03.20(金)
 日光の台車は嫌い。ブレーキシューが後付けです。一番右端のシューは車輪に触れます。同様なのを曲げると、折れてしまいました。バネの裏側のシューが離れすぎているので、場所を間違えたのでしょうが、全部取り付け穴が同じで区別が付かない。TR23は丸穴と角穴で区別が付くのに。ブツブツ。
 大好きなドロップ製台車もストックがほとんど残っていません。で、プレーン軸の小高を改造しました。40年ぐらいは経っているであろう部品ですが、ちゃんと真鍮ブッシュが入っている。これを外して「モア」のピポットのブッシュを押し込みます。で、台枠そのものが反り返っているので、枕梁の部分を削って車輪が抜けないようにしました(いつまで持つやら)。
 これらは、すべて「小物作り」ですね。 
’20.03.17(火)
 ボルスターの作成。これは、小物作りか?でもまとめてここに。作ってみると、5枚。4両分に足りませんね。で、最も目立っているのがキハ18。でも、まあ、まとめてここに書きました。
 それから、昨日、床板を切り出して、はめ込んだのでした。 
’20.03.15(日)
 もう50年が近くなると思うのですが、最初期に作った客車の一つに「オハユニ61」があったと思います。「オハ61系を作ろう」とも思ったのですが、その後に作った「スハ43系」と大差なく、勘違いで入線した中村のプラ以外、作成することはありませんでした。
 オハ60系の3枚窓(オハ31系と同じ)に目は向いていたのですが、なかなか取りかかれず。と、しかし最近では、これをペーパーの完成車体として提供してくれる人がいますので、「入れ食い」状態で「パクッ」と飛びつきました。
 オハ60がもう1両のつもりでしたが、そこは、オークションの悲しさ。逃してしまいました。
 しばらく、車体を展示台に乗せていたのですが、工作を始めます。
 まずは、裾の補強材を貼り付けます。編成になるのは、オハユニ71という戦災復興車です。

オハ60系その1 始まり