本線敷設 その1

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01.05.18〜'01.07.26

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 こんなチャンスは滅多にありません。体調を崩して,自宅療養になってしまいまいした。これが入院なんて事だったら何にも出来ませんが,これは千載一遇のチャンス。ここぞとばかりに,一気にレイアウトの製作にかかりました。
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 この頃’01.07.26(火)から気温が連日35度を超えだし,クーラーを目一杯動かし,扇風機を回して部屋中に冷気が行き渡るようにしていても,部屋の温度が30度を超して作業ができなくなりました。電線,スイッチ類ポイントモーターも購入したのですが,一応の区切りをつけなければ いけなくなりました。それに,職場復帰です。

’01.07.26(

 プラットトラスの橋台が石積みなので,こちら側のデッキガーダーの橋脚は石積みにしました。反対側は,コンクリート製としました。円錐状が正しいのでしょうが,木の丸棒を輪切りにして済ませました。北方ディーゼル鉄道の今井知博氏(TMS誌)には,脱帽です。

’01.07.22(日)

 かつて木次線に走っていた,キハ07とC56を置いて見ました。駅前の建物の向こうに川向こうの線路が見えすぎているので,地形を考え直さなければいけません。

’01.07.19(木)

 オーバークロスする方の勾配も適当にしていましたが,急すぎたので下げていくと,下の線路とのクリアランスが取れなくなりました。そこで,その部分の路盤をアルミ板にしてクリアランスを稼ぎました。でも,NMRAの高さには全然足りません。パンタものやアサーンの一部が入線不可能になりました。まあ,パンタは畳んだまま走らせればいいのですが。

’01.07.1 9(木)

 実は,適当に路盤の間を開けていたのです。ですから,レールを敷設した後からガーダーの長さに合わせて路盤を切り直し,場所によってはライザを付け直したり,付け加えたりしました。まずは,レールにガーダーを接着してそれに合わせて橋台を接着していきました。

’01.07.18(水)

 ほぼレールの敷設が終わり切った路盤の間に橋台とガーダーを接着していきます。また,支柱の間隔の大きすぎるところがあったので,補強をしました。

 小川の部分の様子です。 

 

’01.07.13(金)

 鉄橋もレールの敷設と同時に設置しようと量産しました。作り方は,TMS紙の雲竜寺鉄道の方法を参考にしました。一番上の小さなガーダーはTMSの記事通りに作ったものですが,小さすぎるようなので使いませんでした。一番手前のは,実は,寸法を間違えた失敗作なのですが,小川用に活用しました。

’01.07.11(水)

 レールも手に入り,もう一度レールのつながりを確かめながら,現物合わせでコルクを張っていきました。 完成したストラクチャも並べてみました。現在東京在住のY氏が岡山にいたときに頂いたプラットトラスブリッジです。スパンが長すぎで悩んだのですが,一番奥の信号所のところなら,レールが前後少しカーブするのですが何とか収まりそうです。予定位置に置いてみました。

’01.07.10(火)

 地下線になる部分を一番にレールを敷設しました。勾配区間はどうかいな。現有車輛で一番車輪数の多いD51で,2軸貨車を主体に走行テストをしました。勾配の訂正はしなければならないところはありましたが,一応は脱線もせず走りました。もちろん,推進運転が主体です。D51の先台車に付けたカプラーは,少々不安ではあります。もう少し調整の必要があります。(試験線は,垂直カーブがなかった。)

’01.07.07(土)

 レイアウトの方は,ターンテーブル用のピットを空けました。製作はまだまだこれからですが,建物をあれこれ並べてみています。

 山の中を走る鉄道のロケハンをしようと,芸備線,木次線に乗ってきました。出雲坂根の「延命水」も飲みました。由木から出雲横田間では,何と貸し切りでした。

’01.07.03(水)

 柵原ふれあい鉱山公園,布原等へ,鉄橋などの実物の取材に出かけました。写真は布原の現在の様子です。(拡大写真はありません。)

’01.06.30(土) 

DIY店で,見つけた2mm厚のコルクシートが必要分手に入りませんでした。その間,買いだめていたストラクチャキットを次々に組み立てていきました。それもちょっと並べています。

 高松のT模型店に取り寄せてもらったポイントやレールを仕入れたので,これから,レールを打ち付ける作業や電気関係も始める予定です。

 

’01.06.22(金)

 一応路盤は完成しました。道床は実物の厚みを考えると,3mm厚ぐらいのベニアなどを張るのが良いのかと思います(雲竜寺鉄道祖山線,坂本衛氏の「小川のある風景」,中尾豊氏のレイアウトセクションの記事 参照)。しかし,この備南鉄道が実は本線に近い鉄道をイメージしていると言いながら,目の前の山陽本線,伯備線のあのバラストが盛り上がった線路際がどうも好きになれません。そこで,道床部分はシノハラのフレキシブルレールの枕木の厚みだけにしようとも思ったのですが,消音効果というのもちょっと考えて,2mm厚のコルクを張ることにしました。

’01.06.20(水)

 路盤をつなぎ合わせて,ライザを立てて,しかし,最初に書いたように,実際の大きさとずれていたためにずいぶん,つながりが悪くなりました。

 手前のヤードは,4線とるはずが,なぜか3線しか取れませんでした。また,カーブの位置がずれてきて,川の位置も変更せざるを得ませんでした。ポイントの位置ももちろん変わるので大いに頭を悩ませました。いえ,台枠の下で,頭をしこたま打ちました。

’01.06.17(日)

 手前の駅,それと奥の信号所が同じ高さで,Lから10cmの高さです。ベニア板を置いています。

’01.06.16(土)

 柱が中にあるのをよいことに,直に柱に打ち付けたりしてレールの通る必要なところだけにL字型に組んだ梁を渡していきました。メンテナンスのためには,この下をくぐらなければ行けないので床上60cmをLにしました。ここが最低点になります。

’01.06.14(木)

 10分の1のプラン図を書き上げると,丁度A4用紙2枚分でしたので,2つに分けてスキャナで取り込み,10倍に拡大印刷(デイジーズームプリント使用)をしました。合計200枚です。理論的には,これでばっちりのはずでしたので,敷き詰めてみました。ところがどっこい,木造建築は壁と壁が直角に交わっていない。それと,実際に私の使ったソフトでは100%サイズで拡大できていなかったので,ずいぶんずれてしまいました。印刷の最初で確認をすればよかったのですが枚数が多いので,寝ている間に印刷をしてしまったのです。適当に合わせながら敷き詰めてに台枠を組始めました。

'01.05.18(金)〜20(日)

 部分的にではありますが,天井を張り,その部分を空色に塗りました。あまりにも,安っぽいカラオケボックスのようになったので,グレイのスプレーを吹き付けました。下には大体の感じをつかむために ,適当にレールをおいています。その後,レイアウトプランを詰めたり資料の整理をしたりしたので,1ヶ月ほどこのままでした。

本線敷設その1 始まり