本線敷設その5

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下から日時順になっています。

04.07.24〜’04.12.27

 

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’04.12.27(月)

  煉瓦造りの2線式の庫(ファーラー?)がありますが、似合うのは、ヒルマの駐泊所でしょうか。手前にあまり大きな物を置くと、視界のじゃまにもなりますし、車輌を載せたりおろしたりするのに不便だと思います。

 また、配線は、少しケチったために、台枠の手前を通していました。今後の工作に不便ですので、少しずつ延長して奥を通します。

’04.12.27(月)

  まず、最新の延長部分の、跳ね上げを止め、差し込み式にしました。跳ね上げ式では、安定が悪いからです。

 次に、ターンテーブルの延長部分の土台を拡張しました。

 置いてある円盤は、1つ目のターンテーブルの抜きかすです。282φの円盤です。

 

’04.12.26(日)

  ターンテーブルを設置するために、手前部分の目隠しを外しました。手前に延長する予定です。

 コード類は、ちょっと節約したために迂回できません。少しずつ延長して迂回させる必要があります。

 留置線は、だいたいスパイクしました。まだ、足りない部分は入荷待ちです。

下に見えているのは、香津山軽便(車輌置場)です。

’04.12.26(日)

  片渡り線を分解したりして都合を付けましたが、やはり、一つポイントをハンドスパイク することにしました。枕木は、エバーグリーンの1.5×2.5。ちょっと細めですがよしとします。リードレール、ガードレール、は、今日作った物ですが、外側レールは、仮に置いた物です。

 レールを固定するために、3点支持のトラックゲージを作りました。シャーで切り落としすぎて、実は、これは2個目です。

’04.12.25(土)

  引き上げ線の部分は、ハンドスパイクでポイントを作る予定でしたが、手持ちの物を何とかやりくりしてすませました。
 今日のつながりは、このくらいです。

’04.12.25(土)

  延長部分にダブルクロスをスパイクしました。切り出した枕木も使いました。

’04.12.25(土)

  ハンドスパイク(したくない!!)用の枕木に、エバーグリーンの1.5×2.5の棒を30mmに切り出しました。以前作ったガイドを元にしてスパイク用の穴をあけましたが、少々ずれています。

’04.12.23(木)

  ターンテーブルが必要なのが、今の矢掛駅です。30cmφの板を置いてみるとこの位置にターンテーブルを設置することになるのかなと思います。

 ぼちぼち考えながら少しずつ進歩させます。

延長部分に、コルクを貼りました。レールは、様子を見るために置いているだけです。

’04.12.23(木)

  矢掛駅の延長部分の工作をします。ベニア板の方がちょっと広いので、切り取ります。跳ね上げるための金具を付け、おろしたときに安定するように足をつけました。

 

’04.12.23(木)

  引き上げ線用にコルクを貼りました。先がスパイクできない位置になります。ちょっと不安ですが。

 

’04.11.23(火)

  ページの作り替えのため、本日は、塗料瓶の洗浄のみ。

 

’04.11.20(土)

  点灯すると良いですね。はしごが少し違いますが、これなら使えるでしょう。

 また、レンズ部分が「塗装」でないので、見本と全然違う印象になりました。

 

’04.11.20(土)

  信号を組み立て、LEDを取り付けていきました。LEDは、信号柱に沿うように曲げました。

 遠方や通過の腕を、出発・場内用に付け替えました。

’04.11.20(土)

  矢掛駅のバックがあまりにもぱきぱきしているので、先週、実際の風景の写真を撮ってきました。拡大印刷をして貼りましたが、風景を写そうと思いついたのが夕暮れだったので色の具合があまり良くありません。また、山の木々が葉を落としているので、来春以降また、撮り直そうと思います。

 

’04.11.19(金)

  転轍機標識に気をよくして今日は、腕木式信号の試作です。腕をねじ留めしました。一応動きますが、プラ製なので気が向いたときに手で動かすぐらいでしょう。

丸の中は箱型EDです。後ろや周りに明かりが漏れませんので最適ですが、残念ながら10個しかありません。

 

’04.11.18(木)

  レンズに、赤と青を塗りました。板切れの上から2.4φの穴をあけ、標識を押し込みます。下からは、3φの穴をあけLEDを押し込みます。工作台の灯を落として板切れの下のLEDに通電すると、ほんの気持ちだけ、赤と青が点灯します。早くレイアウト上に組み込みたいけど、まだ、先は長いですね。

 

’04.11.16(火)

  日曜日に作った転轍機標識に黒を塗りました。レンズの青と赤は、次回と言うことです。

 それらしくなってきたぞ。

 

’04.11.14(日)

  探し物をしていて、なんと見つけました。0.25φの光学繊維を。

羽根を4枚糊付けする必要もなく、1つ1つのカンテラ部分がずいぶん明るいです。一気に11個作りました。後2個です。

 

’04.11.13(土)

  腕木式信号のありったけを作りました。プラ板は、ポンチで抜くと、薄くそげて不透明になってしまいます。そこで、プリンタ用のOHPシートを打ち抜きました。2.5φで抜いた円盤は、2.8φぐらいありました。穴を大きくしながら接着しました。信号機は、出発場内、遠方、通過と3種類あるのですが、レイアウト上に規則通り置くとそれこそ、信号だらけになります。そこで、改めて考えますと、遠方が置けるのは1カ所だけで、あとは、出発を中心にそれらしく置くことにします。ですから、板を作り直さなければいけません。

 そういえばと思い、探しますと、エコーと、レジージャックの腕木式信号のキットがそれぞれ1つずつ出てきました。これも使いましょう。

’04.11.10(水)

  腕木式信号の方のこれも量産ですね。穴をあけ、黒を塗りました。この後、レンズをはめていきます。

 点灯にはなりますが、連動は無理だと思います。腕木をビスで取り付けて、気分で上下させようかなと思います。

’04.11.08(月)

  転轍標識は、約20必要なので、今日も4つ程作りました。

 ところで、津川の腕木式信号は点灯しませんが、何とかならないかと試作しました。

 レンズ部分に2.6φの穴をあけ、透明プラ板を2.5φのポンチで打ち抜きはめてみると。ばっちりです。

’04.11.07(日)

  転轍標識は、結局0.5φでは細すぎて、1φの光学繊維を中心に通しました。これでも、反射させるので、とても暗いです。ちょっとがっかりです。

 ついでに、土台をテーパーに削り横に板を付けてそれらしくしました。非点灯にすれば良かったかなと思います。5つ程作ったところでおしまい。

’04.11.07(日)

  シェフ(羅色町営・南茶手線)のお薦めもあって、ハンドスパイクをしようかなと。ポイントの図を引くのは、手間なので、スキャナで市販ポイントを取り込んで、画像修正をし、左右両方の図面(?)を作りました。

’04.11.07(日)

  地下ヤードの位置を変えようと、地上部分を取り外しました。そして、思い出しました。見えないところだから、できるだけカーブを大きくとろうと、この位置にしたことを。忘れていました。

 忘れたですが、昭和49年からの記録のノートなど2冊が行方不明になりました。ウェブに載せていない細かい記録が分からなくなりました。残念。

’04.11.07(日)

  大工仕事の開始です。矢掛駅の出口の板を取り外しました。引上線を付けるために、ポイントをまず1つ取り外しました。「裏返し」に置いてあるところのポイントです。その関係で、それ以後のポイントの位置も変わってきます。

’04.11.06(土)

  いよいよ、光学繊維を通す段になって、違和感を覚えました。以前は、4本の光学繊維がランプの中を通ったのですが、通りません。よくよく考えてみると、以前は、0.25φの光学繊維を4本使っていました。でも、現在手元にあるのは0.5φと1φだけです。???

 試してみると途中で切れていても何とか明るくなります。

 ランプには、1φの光学繊維を4本埋め込み、中心に0.5φの光学繊維を通します。矢羽根は、分解して光学繊維に接着していきます。

 これだったら、土台を何とかしてテーパー状にすれば良かったと思いましたが、作り直す元気はありません。パイプの穴が大きすぎるので、プラ棒で穴埋めをしなければいけません。1φのプラ棒のストックが、ありませんでした。

’04.11.06(土)

  中尾氏のレイアウトや、北谷鉄道は、土台をタイフォンの引き物から作られていますが、これは、目をつぶって丸棒のままです。ちょっと目には、スプリングポイントの標識の土台のようにも見えます。矢羽根の色は、そこら辺にあるプラ用塗料(自動車用)を塗ったので、ちょっと鮮やかすぎたかなと思います。白線、黒線は中尾氏の記事では「紙を貼る」とあったのですが、筆で塗った覚えがあり、「えいやっ」と塗りましたが、30年の月日は如何ともし難く震える手を押さえるのに苦労しました。ですのでゆがんでいます。

’04.11.0 6(土)

  2枚目の石垣用に木工ボンドを塗りつけた後、これも、02年7月(本線敷設その3)にある転轍機標識を量産しはじめました。一気に20個です。土台は、プラ板の貼り合わせと、プラパイプ。矢羽根は、0.3tのプラ板から切り出します。丸板はポンチで作りました。

 カッターナイフで切っていて、ふと思い出しました。8月に東京に行ったときに、「チョッパー」を買っていたのです。土台部分など、以後の切り出しに大いに活躍しました。

’04.11.06(土)

  川底が確定した次は、橋脚橋台を作らねばなりません。いつまでも仮の物では次に進めませんから。しかし、橋脚、橋台の石の模様み妙案が浮かびません。ノッホのペーパーは、ストックが少ないし、コピーした物はすぐ色あせてでこぼこがないただの紙になります。紙粘土に型押しは、量が多すぎるてとてもやる気が起こりません。それに、以前購入したFALLERの橋台はアーチ用ですし、これも数が足りません。02年の7月頃(本線敷設その3)にシリコンで型取りをして、ウレタン材でコピーしたのですが、薄い物はどうもうまくいきませんでした。

 今回、その方を取り出してきて、紙粘土を押しつけてみましたがだめでした。あっちこっちのスクラップを広げてみると、ありました。「TMSに掲載されていた、北谷鉄道(よしだともひこさん)のヒントの中に「木工ボンドを塗りつける」という方法です。

 右がウレタン型、左が原型そして、中央がコピーした物です。きれいにコピーでき、厚みもありません。これなら、貼り付けられるなあと思います。ただ、よしださんが言われているとおり、泡だらけです。しかも、日産1枚。ちょっと厳しいので、この作業をしながらもう少し効率的な素材を探します。

’04.11.03(水)

  中央部と、トラフガーター部、デッキガーター部の川底を9mmベニアで構成し、川岸も造れるようにしました。

 久しぶりに、駅前広場を取り除くと、地下ヤードがどんと場所をとっている。ちょっと、移動しても良いんじゃないと思い出しました。

 矢掛駅の延長、レールの付け直しと共に再度工作をします。

’04.11.03(水)

  本線レイアウトでは、鉄橋の下がとても気になっていました。薄いベニアを置いて(子供が落書きをしたような)、しかも、橋脚がすごく高い(20m級の車両以上ある。しかも、川幅がそのくらいしかない。)ということで、川底をあげ、川岸をきちんと造れるようにしました。

 右の写真は、普段はいることのないレイアウトルームの隅っこの工作の途中で撮った物です。できれば入りたくないポイントです。

’04.11.03(水)

 まず、矢掛駅の延長のために棚受けを取り外してダボを埋めました。何の効果があるのか、ちょっと疑問ですが、延長しやすいかなと思います。

’04.11.02(火)

  実は、湛井駅を中心に、時に矢掛駅に車両が乗り込む予定でレイアウトを作りました。

 しかし、現在は矢掛駅を始発、終点にする列車がとても多いのです。しかも、機関車+6両編成の予定でしたが、矢掛駅は、ごらんの通り、5両でも機関車の付け替えもできません。

 矢掛駅の延長、そして、できれば矢掛駅にターンテーブルを備え付けたいと思い出しました。

’04.10.25(月)

  矢掛駅で、単行のキハ10と、キハ1715+キハ16の交換。

湛井駅で、オハ35系を4番線に入れ替えました。B2010ですが、軽々と行きませんでした、大いにスリップをしながら入れ替えました。

 

’04.10.24(日)

  床下を換え、調整のなったキハ17。30年ぶりぐらいでしょうか、快走するのは。MPギアにしまして、カプラーも取り替えて、従えているのは室内灯もまだ付けていないキハ16ですが、レイアウトを快走します。

’04.10.24(日)

  ばりばりです。とても快調。しかし、ふとしたことで、立ち往生します。

結局ドローバーが後梁に当たることがあったのです。

’04.10.24(日)

  C6217に快調なオハ35系を牽かせて走らせました。

’04.10.24(日)

  C11+オハ35系。オハ35系は、ずいぶん前に調整していました。でも、快調に走ります。C11は、ちょっとしゃくります。後退は良いけど、前進はしなくなりました。

 

’04.10.18(月)

  車両工場で整備された以外に、600,150,6804,6257,5505,B107、そして、1000を動かしました。

 2Bテンダの3両はともかく、タンクロコは、矢掛駅での入れ替え(湛井駅の整備が進んでいないので……)ぐらいが似合っています。 それとも、甲知鉄道に移籍かな。

 写真は、列車の編成(といっても、貨車4両)を仕上げた1000です。

’04.10.11(月)

  集電不良を起こすポイントに補助接点(マシンの方に付ければより確実なのは分かっていますが、なぜかショートします。)を、というより、ポイントの先にひげを付けました。これでずいぶん改善されました。ジョイナーの通電不良のところには廃電線を使ってボンドをつけます。

 ポイントのリードレールとトングレール(シェフさんありがとうございます)との通電のためにも、廃電線でつなぎました。

’04.10.11(月)

  軸受けメタルの在庫がなくなりましたが、修正しただけの緑の車両をひかせて、「トミー」のEF58を走らせました。

 いや、最初は、うんともすんとも言いませんでした。そこで、注油をして軽く動くようになってレイアウトに載せたのですが。なんと、ゴムリングがちぎれてしまいました。

 当鉄道では、動けなくなった車両は何とか再生しているのですが、このゴム輪をどう入手しようかな。 どうしようもなかったら、廃車にするしかありません。

’04.10.11(月)

  車両工作用や、ポイントの補助用にコンピュータ用の廃電線をばらします。各色の電線が結構とれます。

’04.10.10(日)

 カプラと台車の整備のなった10系ザは、快調に走るようになりました。

 

’04.10.10(日)

  矢掛駅に改札の柵を付けました。照明を付け忘れたのが返す返すも痛い。

 また、構内のポイントの脇に転轍機標識を付けるための枕木を貼り付けました。

 

’04.10.04(月)

  ちょっとバネが窮屈になったかな。それ以外は、まあまあ、思った動作ができます。同じ形状で、3つ試作してみました。作り勝手も良いです。

 受けの方の寸法を少し伸ばして、バネをゆったりさせるとよいかなと思います。

 量産型に取りかかります。

’04.10.04(月)

  いつでも機関車を実現させるために、レイアウトセクションを作りたいと思います。そこでは、ポイントの切り替えは大きな装置がなくていいようにと思います。

 手動で、レイアウト下面での操作ができてというと、そう、ホクトモデルの手動ポイントレバーを思い出したわけです。しかし、現物は手元にありません。古いTMSの広告などに絵が残っているのと、記憶の片隅に大きさなどが残っているだけです。

 それらを頼りに試作しました。

’04.10.03(日)

  10系ネが、一応走るようになってきたので、「中村精密」の10系ザを走らせますと、ごらんの通り、脱線しました。これも、カツミのエースカプラに取り替えたときの調整が、不十分でした。やり直します。ただ、このキットのプラスティック製の台車はピポット車軸で、軸受けが削れています。どうやら、ABSなどではなくスチロール樹脂そのままのようです。

’04.10.03(日)

  走りがよくありません。そこで、もう一度お掃除列車を通しました。ヤ04のクリーニングカーには、空研ぎ用のペーパーを付け強制的に磨きます。前回から2週間程しかたっていませんが、掃除機車の中は、すな?ぼこりとわたぼこりが結構はいっていました。

 その後、クリーニングカーを、CDの不織布に換え、「Loco」を塗りつけました。

スムーズに走るようになりましたが、どうもポイントで接触不良があります。マシンの補助接点を使うとショートするので、別の方法を考えなければいけません。

’04.10.02(土)

  リバースの上り坂が一様ではなく、C62は息継ぎをします。そこで、勾配を修正しました。見た目にはあまり分かりませんが。

’04.09.27(月)

  調整なったC6217が、20系(カトー)6両を引いてレイアウト上を快走です。でも、カトーのドローバーは、解放しやすいです。まあ、レイアウトの状態が悪いのは分かりますが、それにしても自然解放が多いと思います。

 この前に走らせた、自作の10系はアウトです。以前は、真鍮板のドローバーでしたが、 カツミのエースカプラにした後、調整が全然できていませんでした。

でも、久しぶりです。レイアウト上に列車が走るのは。

’04.09.27(月)

  昨日仕事だったために、今日は休みが取れました。

 津川の駅名板に作ったシールを貼り、電柱や、柱にも駅名標を付けました。…小さすぎて見えません。

’04.09.25(土)

  レリーフ状の駅(矢掛駅になる予定)にデティーリングするためもあり、津川洋行の腕黄信号に着色しました。白と、黒を吹き付けました。

 出発と停止の色をどうしようかと思います。ダミーになるので、どちらかに固定して、LEDを使って点灯しようかなと思っています。しかし、腕木のところに3mmの穴をあけなければいけません。どうしようかな。

’04.09.25(土)

  プラットフォームの石垣を着色しました。グレイと、錆色の混じったグレイとを適当に流し込みました。縁石は2mmバルサ材から作っていたので、上面は1.5mmバルサ材を貼った上に120番のサンドペーパーを貼りました。

 KATOの庭木を植え、本屋に屋根を付けとめると、それらしくなりました。キハ07が似合うスペースになりました。

 そういえば、駅舎の照明をなんにも考えていなかった。

04.09.24(金)

  満を持してC62の本線走行!!だったのですが、C6217はテンダー台車の転がりが悪いのか、動輪がスリップし、リバースのカーブをあえぎながら上ります。何のこっちゃ?そこで18を走らせると、見事に先台車が脱線。前部カプラーと端梁の具合が悪いようです。試験線の上では、動いたのに!!

 この後は、車両工作日誌で報告します。がっかりです。

 また、本線レイアウト以外にパイクと、「高松時代の中尾氏のレイアウト」を再製作しようと思います。「いつでも機関車」にするためです。

’04.09.23(木)

  リバースのカーブの問題もあり、また、工作するには(ちっともしていませんが)、車両があってはじゃまなので、長い間車両を動かしていませんでした。そこで、久しぶりのお掃除列車です。今回は、「水ペーパー」を取り付け、削りました。

 掃除機車両は、最初はほとんど動きませんでしたが、しばらくするうちに動き始めました。

 全体を約20分走らせました。「水ペーパー」は汚れ、掃除機の中はほこりだらけでした。

’04.09.23(木)

  ホームの側壁には、「NOCH]のビルディングペーパーで、プレスされた石積みをコピーしたものを貼っていました。しかし、コピーはいけませんね。色あせてしまいました。

 そこで、紙粘土を薄く塗り、真鍮板加工の型押しプレスでしこしこと石積みを表現していきました。

 このホームは、延長部分のものです。バックに色画用紙を切り抜いた山を両面テープで貼り付けました。

 実は、30年前のレイアウトや、運転会の様子のカラー写真を見る機会がありましたので、それを思い出して細工をしました。

’04.08.21(土)

 20日に東京へ出かけました。まずは、JAMへ。木曽モジュールクラブのレイアウト実感的でした。色合い、それから素材の使い方など、とても参考になりました。

 次の日には何をしたかというと、「鉄ちゃんをしました。」友人と二人で、関東鉄道、真岡鉄道に乗りに行きました。キハ35と、レールバスでしたが、関東のローカル私鉄を満喫しました。

 いや、ビールをしっかり消費しました。

’04.08.19(木)

 リバース線の頂上辺りで、キハ82が自然解放することがありました。スパイクを抜いてフレキシブルレールをぐにゅぐにゅとしてカーブをスムーズにします。

 一応自然解放しなくなったようです。

’04.07.24(土)

 地下線からのトンネルを何とかして、駅前の町並みを作りたいと思っています。

 ノッホのトンネルポータルを見つけたので購入してみましたが、ずいぶん背が高く、大きい。カーブ、架線を考えるとこんな物かなとも思いました。

’04.07.24(土)

 久しぶりに訪れた高松のT模型店で、Kさんに30年ぶりにお会いしました。

 部品の仕入れをした後、以前から気になっていたグライダーを手に取ってしまいました。最近、そちらの方にうつつを抜かすことが多いので。

 早速レイアウトの上を飛行させました。なかなか良い物だ!

 ところで、クーラーが全然効きません。要修理です。5月からほとんど工作をしていなかったので気がつきませんでした。いざしたくてもこれはちょっと厳しいです。

本線敷設その5 始まり