車両工作日誌 その11

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’14.09.04〜’15.02.20

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 部品作製や、運転会参加、車輛の修理などの日誌のその11です。
’15.02.20(金)
 一号機関車の編成は、展示台の最上段に何とか収まりました。レールはなしです。
 後は、部屋を片付けました。プラ工作の連続だったので、工作台の周りは、塗料の瓶だらけ。また、最近オークションでゲットした物も置いただけ。
 湛井機関区、貨車区(?)の下に配線をするために棚も取り外したままですし、棚に乗っかっていた物も積み上げたまま。
 その上、(甲知鉄or阿智電鉄)用の木材までも搬入したので、足の踏み場もありません。片付けましたが、工作する環境には、ほど遠いです。
  
’15.02.12(木)
 人生いろいろです。でも、「始めなきゃ始まらない。」と言うことで、2回目のお四国遍路の旅。今回は「逆打ちに挑戦」ということで、大窪寺までラッタッタ。さすが平日です。駐車場にはこの3台だけ。ちょっと兆候はあったのですが、帰りにセルが回りません。一旦キーを切るとだめ。長尾寺では「お遍路さん」が「押しがけか!」と手伝ってくれたのですが、志度寺の手前のうどん屋でアウチ!レッカーを呼び、「初めてのうずしお(接続の関係で)」、マリンライナーに乗り継いで帰りました。鉄が出来たぞ!本土に戻ると雨。逆にラッキーだったのかな? 
’15.01.31(土)
 妻面の塗り残しをダークイエローを筆塗りします。
 今では、連結環がキットのままでは満足できませんが、一応完成と言うことにします。
 さて、どこに置こうかなっと。
’15.01.31(土)
 昨日は1日ダウンしておりましたが、1号機関車に続く客車の作成です。床上をマホガニーに塗るつもりでしたが、吹き付けた関係で黒になりました。
 座席と室内が「タン」ですので明るすぎるか。でも、木造の感じが出て良いよな。「ろ」は座席を赤で塗りましたが、背もたれが「は」と一緒でした。ランプケースを取り付けながら「LEDを組み込むのも出来るよな」と思いましたが、今はしません。屋根板の縁が外に出るのでつや消しの黒を筆塗りしました。
’15.01.29(木)
 高野山って遠いのね。しかも、南海電鉄の直通は1時間に1本。天下茶屋で、ラピードを見ていてこれから乗る急行を撮りそびれました。と言うより、また、デジカメのバッテリーがなくなっていて(バッグの中でどうもあちこちのスイッチが入っているらしい)、スマホで撮りました。デジカメは構えるのが横方向ですが、スマホはどうしてか縦方向です。しょうがねぇ!
 この電車で橋本から極楽橋まで行きます。友達の自転車乗りに「鉄道路線跡のサイクリングロードはたかだか25パーミルだから」と行ってきたのですが、何と50パーミルの勾配を上がっていきます。また、半径の小さいこと。耳が痛くなるぐらいフランジが泣きます。
 奥の院で白装束に着替え、納経。「満願です」と言われてほっとしました。
 オフシーズンのためか、そこらじゅうが工事中でした。
 帰りは通しの急行でしたが、性ですので恵美須町まで出かけました。昼飯は、ここで3時半ぐらいに食べました。しかし、思った物はゲットできませんでした。
 はっきり言って無理な日程でしたが、区切りがつきました。何でも高野山は4月の中旬から宿坊はすでに満室とのことでした。近々オフシーズンの内に2回目を行きます。オフシーズンだからからこそこんなにスムーズに回れたと思います。
’15.01.28(水)
  下回りや屋根に黒を吹き付け、車輪には「拭くとアイアン」を塗って組み立てます。
 下回りを組み立てますが、塗料が回っていなかったり、「タン」が、残っていたり(回っていないのだ)したので、組み立てた後にもう一度黒を吹き付けるかなあ。
 そう、窓の中線の白も吹き付けました。
’15.01.28(水)
 錦織の試合を全部見ちゃいました。残念でした。
 客車の塗装をします。妻は表裏を間違えていたので、裏に改めてタンを、表には独軍戦車色のダークイエローを吹き付けます。色の薄い方が「タン」です。
 また、ロの座席に赤を吹き付けました。 
’15.01.26(月)
 お四国遍路の旅のまとめを作りました。
 1号機関車は、作り直した砂箱を取り付け、煙室前面の手すりも、昔の大きなハンドレールの部で付け直しました。
 また、接着剤が回っていないところをゴム系糊で付け直しました。
 雨が降っているので、客車の塗装はしませんでした。 
’15.01.25(日)
 明日は雨とのことで、大窪寺まで出かけました。今日は日曜なので、高速は多少割引があります。40年ぶりの大窪寺は、雰囲気がずいぶん違いました。
 回りは新しく建て変わっているとか。
 また、本堂の横に使い終わった金剛杖が沢山積み上げられていたと思うのですが、新しい杖塚が建っていました。
 また、日曜日と言うことで、観光客が多かったです。これで八八ヶ所満願です。あとは、高野山へ!
’15.01.24(土)
 体調も良くなったので、残りの5ヶ寺を回ります。ちょっと寒かったですが。
 仙遊寺もきっちり山の中。向こうの丸の中は来島大橋です(見えないか)。あれを通ってきました。それから、横峯寺、前神寺、三角寺を回ると、4時を過ぎましたので、帰りました。
 あと、大窪寺が残るだけです。
’15.01.23(金)
 サイドタンクの前の砂箱のパーツが一部なくなっていました。ランナーの板から切り出します。
 手すりの類も取り付けましたが、煙室戸上の手すりのハンドレールナブが跳んでいって1つなくなりました。どうしようかなあ?
 でも、これで1号機関車は、ほぼ完成です。
’15.01.23(金)
 客車のタンの吹きつけ2回目。 カンスプレーはあっという間になくなりました。
 機関車のレタリングのデカールはぼろぼろになっていました。挑戦はしてみましたが、貼るのは諦めます。
’15.01.22(木)
 サイドタンクを組み立てましたが、塗料が回っていないところがありましたので、改めて吹き付けました。
 客車の方は、加悦や多度津を思い出しながら、室内は、タンのスプレーを吹き付けました。 
 客車の外板は、長尾地鉄さんと話し合って、錦絵から「芥子色」じゃないかなと言う結論になりました。室内に塗った「タン」よりは少し芥子色っぽい「ドイツの戦車色」のプラカラーを買ってきました。
 機関車も大体見えてきましたし、客車も手が着きましたので、近々完成できるでしょう。
’15.01.22(木)
 第1動輪の車軸も真鍮棒に換えます。バルブギアのパーツを取り付けますが、クランクが動かないので動輪の方を固定しません。「手で動かすと何とか動く」状態です。40年前にエアーフィックスのロケット号のプラモを作りましたが、良くころころと動いていたことを思い出しました。
 キャブ前面にパーツを付けます。
 また、クランクピンはプラパーツが折れたのでいっそのこと1.4φネジにしました。この方が確実です。
’15.01.21(水)
 組み立てたキャブ前板。
 車軸は一応3φ真鍮棒から削り出します。どこか当たっているようで、第2動輪はあまりスムーズに回りません。クランクピンはプラのパーツが折れています。センターに0.5φの穴をもみましたが、どうしようかと迷っています。 
’15.01.21(水)
 キャブ内に改めてタッチアップ。火室は黒、パイプは「ブラス」、メーター(?)には白を差しました。
 TMSの記事には位相が逆にずれているとありましたが、向こう側を合わせると、180度違います。そこで、切り欠き部分を接着してから3φの穴を開けます。糊が乾くまで待ちます。
 先輪もシリンダーブロックに当たって回りませんので、少々削りました。
’15.01.19(月)
 13日から4泊4日でお四国遍路の旅に出かけました。高知、愛媛の大部分を回ることが出来ました。岩屋寺辺りで雨、風に合い、凍えました。しかも、道に迷い……。
 出発点の室戸の「御厨人窟」についたときはまだ意気軒昂でした。ここまでも含めて約千キロ単車で走りました。実は、アレルギーを起こし、何とかしのぎながら走りましたが、今日、内科の診療を受けますと、喘息が起きているとか。こんな診断をされたのは初めてです。と言うことで1週間ぐらいは安静にして、残り5ヶ寺はまた日帰りでお参りします。
  
’15.01.18(日)
 長尾地鉄さんでの運転会。参加者は私だけですので、滅多にない阿智電鉄の機関車を持って行きました。
 回るレイアウトを快走する11号です。 動画がリンクできているはず。
 長尾地鉄さんの百均動力利用尾道電鉄です。
’15.01.17(土)
 TOMIXのDF50のスノープローが届きました。パーツの値段が300円、荷造り送料が240円。支払いは郵便振替か現金書留か。現金書留って結構送料が高いよなと思って郵便振替にすると、何とその手数料が430円。合計970円になります。何とパーツ代の2倍以上の手数料です。
 銀行振り込みって出来ませんかという問いにきっぱり出来ませんと言われました。これって地方在住者には厳しいですねえ。
 この間の4泊4日でまたお四国遍路の旅をしました。残すは5ヶ寺になりました。
’15.01.11(日)
 機関車を組み立てかけて、そういえばと鉄道科学館の230の写真を取り出してみました。なんとキャブ内側は車体色で天井だけが白。梅小路は、大体白黒(窓枠だけ白とか)。青梅は皆水色。 もちろんボイラーは黒です。下地が透けている白はやっぱり良くないなあと思います。
 もう一丁、濃緑色をプシューッと吹き付けましょうか。
 それはさておき、お四国遍路の旅に出かけます。週末はまた荒れそうなので、予定を繰り上げて明日の午後に用事を済ませてから出発しようと思います。
’15.01.10(土)
  結局ボイラー等は工作室にあった「濃緑色、中島」のカンスプレーで塗ってしまいました。煙室戸のヒンジには、0.5φ穴を開けて開閉式にし、中に閂を取り付けつや消し黒でタッチアップして組み立てました。
 マスキングテープを剥がしたパーツを並べます。タッチアップをしながら組み立てます。
’15.01.09(金)
 キャブ内をマスキングして、外部を塗装します。渋めの緑として「ガンダムグリーン」を選んだのですが、下地がまだ透けているのに在庫がなくなりました。
 別な緑をこの上から塗ります。
 また、客車も塗装できるように下処理していきます。  
’15.01.09(金)
 煙室戸にヒンジを付けます。昔はどうしたか忘れたけど、ちょうど良い厚みをトライアンドエラーで0.8mmとしました。0.5tと0.3tのプラ板を接着して作りました。
 幅は適当で長さだけはぴったりになるようにして,接着しました。加工は糊が乾くのを待ちます。
’15.01.08(木)
 ドーム、煙突キャップは「拭くと真鍮色」を塗ります。実はTMSの旧号(のコピー)を見ながら作っています。 
 煙室戸は手を付けないつもりでしたが、一旦バラして切り抜きました。ついでに中の銅パイプ(?)にも、「拭くと真鍮色」を塗りました。
 拭くのは明日以降にします。
’15.01.08(木)
 最近のプラ用塗料は進歩しています。40年前にこれを作ったときは、アルミシルバーを塗ったのですが、乾いてから拭くと色が変わる「アイアン」をタイヤに塗りました。ロッド類にもです。
 キャブ内は白に塗装しました。モールドは信じられないような赤ですが、きっと渋めの「緑」に塗るでしょう。 
’15.01.07(水)
 これも、2年ぐらいは手つかずのままです。とにかく「不良在庫」を処理します。 作ります。パテ塗りだけで止まっていましたが、ある程度整形して、塗装します。プラモデルならではのあれこれを思い出しながら、作っていきます。
 そういえば、40年前には思いも寄らなかった赤いプラスティックで車体が出来ています。何色に塗ろうかなあと思いながら組み立てています。
’14.12.24(水)〜
 さて、阿波の国に来たのならと、一番霊山寺からお遍路を始めます。途中「電動アシストの自転車の人とほぼ同じに回っているのは何よ。」と思えるほど、平坦なお遍路が続いていました。
 ところがどっこい。遍路転がしがあると言われる焼山寺へ車道を使って大回りをして上がってみますと、何と残雪が。「2日前には上がれませんでしたよ。」と言われました。好天のためかろうじでお参りすることが出来たのです。
 鶴林寺もすごい山の上。次の大龍寺から見える鶴林寺「窓の中の赤丸に囲まれた白い点」。900m越えの山頂に寺があるのだ。すごい。でも無事に阿波23ヶ寺+讃岐の残り4ヶ寺(大窪寺は残している)を回り、約半数をお参りすることが出来ました。
’14.12.23(火)
 ヨンデンプラザの運転会に参加しました。
 夏以降の新作がないので、「フカヒレイコライザー:スケルトン」と、作成中の1100を持って行きました。と言うより、今回は「単車」でしたので、車両の運搬がとっても困難だったのです。
 で、今回の目玉はきっとこれでしょう。四国の「新幹線もどき」のモデルです。Nゲージです。普段Nゲージは取り上げていませんが、これは秀逸でしょう。写真の腕が悪いのはごめんね。
 16番では、デティールアップされた蒸気や、セミスクラッチのドイツ型機関車など、それぞれの大作がありました。
’14.12.21(日)
 先日のモデルフェスティバルでもらったKDカプラーを組み立てました。
 上下に抜けないタイプだそうですが、結構ヘッドが大きいですね。 
’14.12.19(金)
 むちゃくちゃな低気圧を避けて、お四国遍路の旅その3日目。朝早めに出かけ、「天皇寺」から「八栗寺」まで。3時前でしたが、ここで打ち止めにして帰りました。今日は風もなく無事に日のある内に帰宅できました。
 八栗さんでは、行き帰り共この赤いケーブルカーでした。
 ちゃんと「鉄」しているでしょう! 
’14.12.14(日)
 師走の8日も、14日も取り立てて言わなくなりましたねえ。と、これ以上は言いません。
 初めて「虹会」のモデルフェスティバルに参加させていただきました。数々のエントリー作品の一番左端が「備南」の車両。少々旧作ですが、4500とフカヒレ2軸貨車です。沢山の人がフカヒレに興味を持ってくださり「布教」が出来ました。また、5位入賞をいただくことが出来て光栄です。ありがとうございました。
 その後の忘年会では、潤滑油のビールをたらふく入れながら、楽しく模型談義をさせていただきました。 体力の維持を図りながら、次の模型作成に邁進します。
’14.12.12(金)
 お四国遍路の旅は、学生時代から「行きたいなあ」と思っていました。土下座祭りや尾道に出かけた友人が1月ほど前からお四国参りを始めました。彼は歩きまたは自転車なのですが、私は端から「単車」と決めておりました。その彼が「先達」として、昨日誘ってくれましてでかけました。
 雨が降るので車で4ヶ寺回りました。山の上は積雪などとの情報もいただきました。それよりも、「1200年」の特別なスタンプは来年の5月までと言うのが、ちょっと衝撃でした。あれこれあって、「それなら、残りの半年で2回は回りたい。」と言うことで、今日も押っ取り刀で昨日の続きの7ヶ寺を回りました。打ち止めにしたのは78番郷照寺です。ここは,駐禁のところでした。ごめんなさい。
 帰りの瀬戸大橋は強風のために速度制限が。50kmで走っていても強風にあおられ、ヘルメットも飛ばされるかと思うような状態で、それこそ「南無大師遍照金剛、転びませんように!」と祈りながら帰ってきました。
’14.11.25(火)
  社長専用車の乗客を増やしたのでした。23日工作、24日撮影。
 いつものことで、車両の整備。5500は結構動輪が汚れていました。第1動輪に補助接点を付けていました。テンダーにも付けたいですが。
 また、5900は、モーターへの半田付けが外れていました。半田付けし直して、無事に動きました。
’14.11.24(月)
 1/1関係があったり、「また」の町歩きがあったりして、更新が滞っていました。実は丸2ヶ月「足がだるい」のです。長年の運動不足を思い知らされています。
 さて、I氏、H氏がいらっしゃるとのことで、長尾地鉄さんで臨時運転会が行われました。両氏ににお会いするのは初めてでした。長尾地鉄さんの旧型電気機関車、I氏のEF62(天賞堂)、EF66(カツミ)などがメインでした。
 備南は、社長専用列車を乗り入れたのですが、5900が動かず、5505がピンチヒッター(運転会前の調整がやっぱり必要ですね)。トビーの2軸客車を2916と4500で牽かせました。こちらは好調でしたが、写真はなしです。 
’14.11.08(土)
 トラコンのトラブルシューティングをしました。配線ミスを見つけて、半田の付け直しをしました。一応、加速。その後惰行にすると 少しずつ電圧が下がり、ブレーキもききました。
 しかし、電圧計の表示がどうにもおかしいので、一度配線を外して半田付けし直しました。そうすると、どんな状態でもメーターでは約10V出力するようになり、実際のアウトプットはなくなりました。「これってICが壊れたと言うことだろうなあ。」と思い、その手の詳しい友人に電話しました。
’14.11.04(火)
 「なんとかパス」で、友人と尾道に出かけました。1月ほど前に彼と山歩きに出かけて、まだ足が重いのです。でも、がんばって出かけました。
 私「おお、レールのカーブがきれいじゃ!!」。彼「おまえ、なんか間違えていないか?」 私「おお、そうじゃった。こんな斜面の上に、こんな立派な三重の塔があるなんてすごい!」……;
 雲一つなく暑くも寒くもなく、とても良い日でした。山頂まで上がり、ソフトクリームを食べました。
 下りのロープウエーで「再急角度は27度です。」に、「32度ぐらいまでなら(スキーで)直すぐ降りられるよ。」と言ってしまい、また顰蹙をかいました。
 福山の自動車時計博物館にも行きましたが、その展示品のすごさにびっくりしました。もう2度とお目にかかれないよなと思っていた自動車に出会ったりしました。
’14.10.20(月)
 4両目の4030の動輪を清掃。残り17両(?)の客貨車の車輪も掃除しました。結構汚れるもんです。
 実は、ゴニョゴニョのバッファが壊れたり、軸箱の接着剤が外れたりしたのですが、走っていれば気付く人が居ませんでした。良かった、ごまかせて。
’14.10.19(日)
 かいもん4号さんの「岩手開発のキハ200(?、せっかく聞いたのにうろ覚えです)」。プラ板での「スクラッチ」です。なかなか良い雰囲気です。 
 皆さん、今日も楽しいひとときをありがとうございました。
 帰ってから、車輪の汚れを掃除しました。機関車3両でお終いです。
 そうそう、今日は、市の中心部の秋祭りです。毎年の如く「ばら寿司」を買って帰りました。晩ご飯は、この「ばら寿司」でした。おいしかったです。
’14.10.19(日)
 長尾地鉄さんでの運転会。初参加から1年が過ぎました。備南からの乗り入れは、古典蒸気4両+客貨車、特にYAMA模型の客貨車は初乗り入れです。地鉄さんの(だけではないと思うが)C51と比べると小さい。 まあ、それなりに走りました。
 汽車男さんの115系15連、かいもん4号さんのEF65+12系、地鉄さんの9900や8800。何と言えば良い並びでしょうか?
’14.10.15(水)
 小学生になるかならないかの頃、この「土下座祭り」を一度見たことがあります。 300年続く伝統の祭りだそうで、昭和49年(?)からは「無形民俗文化財」になっているとか。
 もう一度見たいと思っていたのですが、最近「ぷー太郎」になった同級生と一緒に「平日」でも行けるので、私は約55年ぶりに、彼は初めて見に行きました。
手前の後ろ姿の人が「郷士監察」と言って、青竹を持って土下座していない人が居たらしかっていてとても怖かった覚えがあったのですが、最近では年寄りが多いためか、あぐらをかいていても、いすに座っていても、まあ、立ち上がらなければ、許してもらえました。
 行列の武者は、袴をからげた独特の姿で、太刀を前にずらして差し、空いた手は袖をぴんと伸ばして静々と行進します。
’14.10.13(月)
 この車輪の汚れは、ほとんどの車両に見られました。IPAを綿棒に染み込ませて、しこしこと拭き取りました。
 アンパンマントロッコの新規購入車に付けていたパワートラックが旧製品でした。で、途中で「お荷物」になりました。幸い新しいパーツがありましたので、交換しました。車体が重いので、1車体2Mにするのも良いかもしれません。
’14.10.13(月)
 DF50のちぎれたスノープローの土台部分をひき抜きます。
 これを始め、台風で外出もままならないので、昨日の運転会に参加させた車両の清掃、修理をしました。EF58も含めて52両でした。ですので、今日は51両を清掃、修正したこととなります。
 キハは専用ページがありますが、ここに書きます。まず25は、高速モーター対応のためにダイオードブリッジをかませていましたが、その1つの半田が外れて「ブレーキ」になっていました。半田付けし直しました。
 
’14.10.12(日)
 「手を出さないでね。」と言っても、興奮してどんどん前に出てくる「子鉄ちゃん」達です。うれしい悲鳴とはこのことでしょうか。
 さて、トラコンを持ち込みましたが、何と惰行にすると加速すると言うエラーがあるとこが判りました。また、左手写真にあるC58は7両を牽いて勾配が上れないし、アンパンマントロッコは片方のパワトラが不調でした。
 DF50はスノープローがもげるし、EF58の牽く中村の10系は、脱線ばかり。また、タンカーの日光台車のバネが跳んでショートばかりと、トラブル満載でした。いずれも、普段は走行させていない車両です。
 調整します。早速はEF58の車輪の掃除でした。
’14.10.10(金)
 明後日の母校「うどん大学」のイベント「未来からの留学生」のお手伝い(と言いながら遊びに)に、明日の前日準備から出かけます。そのためにパッキンしました。
 出来るだけ少なく、四国をメインにチョイスしました。もう、ほとんど同じ物を持って行っているようですが、その中でも、変化をつけているつもりです。レサやキハ81系などは残します。
’14.10.09(木)
 カトーの165系、キハ82系の車輪を掃除しました。
 また、矢掛駅と「元」地下ヤードの間に、レールクリーニングカーを走らせました。 
’14.10.07(火)
  「Nゲージでは、型の関係でジャンパ線の向きは違うことがあるよ」。16番の商業誌に取り上げられている自作電車の先頭車のジャンパ線が反対になっているのに憤っていたときに、教えてもらったことです。ふと見ると何と、TOMIXの581系のジャンパがまさにその通りです。床下器具まで入れ替えるのはとても大変なので、クハの連結面だけ入れ替えました。また、2両とも偶数番号でしたので、32の方を33にしました。また、このクハは,後側の室内灯が点灯しなくなっていましたので、接点をあれこれして修正しました。この編成は、これ以上改修することはないと思いますので、工作日誌にて。
’14.10.07(火)
 3日ほど放っておいたら、パワーパックはまた同じ動作をするようになりました。「何でだろ?」です。
 さて、お掃除列車の後は、車輪の掃除です。黒い物が、べったりついています。
’14.10.04(土)
 配線の間違いが見つかり、何とか出力できるようになりました。電源スイッチも付けて一応完成です。「パイロットランプ」がありません。それに、少しおかしな動きもします。
 と言っている内に、トラブルが起きました。レイアウト走行時には、結構ショートしているようで、大きな物で1回目はヒューズが切れ、2回目でなぜかは判りませんが、尋常でなくなりました。ICそのものも30年以上前の物ですし、そのあたりの知識は全くないので、トラブルシューティング出来ません。
’14.10.03(金)
 一度は諦めていたトラコンの再工作をします。 配置を考えて何とか押し込めるのではないかと、トライしました。
 2段下の物と比べてボリュームやスイッチの位置を変えて、実物のような配置にします。中身は、ぎっしり。入れ替えるために外した線と無理矢理押し込んだトランスとダイオード。その上、メーターもです。
 それなりに配線しましたが、どうも違うようです。少しずつエラーチェックをするのが良いのか、いっそ1から配線し直すのが良いのか?きっと後者でしょうねえ。
’14.09.28(日)
 先日、カトーのトランスの入るケースを買い直しました。要らぬ出費でしたが。
 メーター付きのパワーパックを作りました。中身は、カトーのスタンダードの方そのままです。
 アウトプットは「これかよう!」の「陸式」ターミナル(しかも変色している)にしました。撚り線を巻き付けるなり、なんなり汎用性が大きいと思いますので。
 2つめは、カトーのデラックスを使って作るつもりでしたが、結構中身の配線がややこしそうなので、2こ1のトランジスタコントローラーにしようと思います。トランスをケースの真ん中に納めれば(これも上面の中央に見えているネジがトランス用)、何とかなるかと思います。
’14.09.23(火)
 6月の運転会の時から、「メーターがあった方が良いよね。」という話が出ていました。で、メーター(アナログ)は、かなり早い時期に入手していたのですが、メーターボックスを置くスペースはなく、8月には、「カンタム」のメーターボックスを見せられて「小さな箱でも一体化できるのでは?」と思っていました。
 それを、実現すべくケースを買いに出かけたのですが、まずは、これ、「香津山?」「藤倉?」軽便鉄道のパワーパックを修正しました。「あっちこっち」のスイッチが小さすぎたので、大きいのを取りつけました。
 次には、ずっと埃をかぶっていた物です。下はレオスタットの入ったもの、上はレイアウトテクニックにあるトランジスタコントローラーで、昭和50年代製です。下はレオスタットなどを外し単なる電源ボックスにしました(1つのケースにまとまらなかった)。トランジスタコントローラーは、スロットルとブレーキの切り替えスイッチがあってよく分かりません。でも、ちょっとレイアウトで遊んでみました。「結局は、パワーパックを乗せる台を広げなきゃいけないんだ」。
 カトーのパワーパックの中身だけ使ってメーターも内蔵した物を作ろうと思っていたのですが、結構トランスが大きくてびっくり。買ってきたケースには収まりませんでした。ちゃんちゃん!!
’14.09.21(日)
 長尾地鉄さんの蒸気動車。調子よく走りました。
 湛井駅、3番ホームに停車しているのは、長尾地鉄さんのキハ43000(でしたっけ?)サウンド付きです。前回より改善されたとか。停車中のアイドリング音がチャーミングでした。
 さて、その奥が、今日1番活躍してくれた、かいもん4号さんのキハ181です。衝突事故の部分は、おかげさまで約1mmというタイトな状況でしたが無事クリアーしました。しかし、リバースの上り線、布原から地下線へ至る部分でトラブル続発。「車両の初期不良を修正をしていないからか。」とも言われましたが、布原の部分のレールが、実はすごく捩れていることが判りました。しかし、どうクリアすればいいのか課題が残りました。
’14.09.21(日)
 当鉄道で、3回目の運転会が行われました。汽車男さんが乗り入れてくださったアサーンのコンテナ。矢掛駅ではホームの側壁に当たり、リバースでは、トンネルポータルに当たり、貨物ヤードで一時(ずっと?)待避。でも、本線は無事走行できました。
 矢掛駅で頭を外に向けて止まっている気動車群。奥から長尾地鉄さんの電気式気動車。一段窓とバス窓の2両編成×2。カーブを走りませんでした(備南は急カーブです)。蒸気動車2両。キニ05近鉄色。それに備南の機械式気動車。しばしの撮影会です。
’14.09.08(月)
  スカートと枕梁をマスキングして「グレー」を吹き付けます。スチレンでなくても一応合成樹脂なので「プラカラー」を吹き付けました。
 相方に運転手と乗客を乗せていますので、こちらにも運転手や人形を載せました。しかし、「子連れ」のストックはあまりありませんでした。
’14.09.07(日)
 さて、先日坂出の運転会のときに、新に購入したアンパンマントロッコです。真鍮板を入れなくてもプラ部品でそこそこ強度が保てそうですので、前任車(?)と同様に床板を切り欠き、パワートラックと台車を取り付けます。
 床板のパーツをすべて切り落としてフラットにして、DM17H(ゴニョゴニョ)を取り付けました。
 これで、外見上はM+Tになりますが、「今更、DM17Hかよ。」と勝手に突っ込みました。でも、これ以上新しいバージョンの在庫はありませんので。今後、塗装します。
’14.09.07(日)
 まずは、以前から入線していた「アンパンマントロッコ」をパワートラック化します。 気動車製作の方には特に「章」を立てていないので、工作日誌にて。
 まずは補強の真鍮板を切り落とし、「穴」を広げます。車体前部の取り付け部分は、数ミリでパワートラックのネジに当たりますので、ニッパで切り落としました。で、無事にパワートラック取り付け完了です。
’14.09.04(木)
 幅、高さを0.5mmずつ縮めた軸受けを作りました。軸の位置を間違ってポンチしていましたので、ハンマーでたたいて平らにしてから、打ち直しました。前回作った治具が見つからないので、0.8t真鍮板に開けた2.0φ穴をガイドにポンチで強く打ちました。ガイドにした真鍮板は、ガタガタです。もちっと堅い板で作れば良かったけど……。
 でも、以前よりは深い軸穴ができて、幅が狭まったにもかかわらず、スムーズに回る軸受けができました。フカヒレの軸は、集電装置を避けることができそうなので、フカヒレイコライザー化します。

工作日誌その11